俺の目は、腐ってる

 

 

 最近俺は凄く可笑しい。

 悪魔の射手と二つ名で呼ばれ泥門の最終兵器魔王と恐れられたこの俺が、とある一人の人物を目の前にして、びびってる。

 そりゃ俺だって悪魔だ魔王だ言われたって所詮は人間だ。腹も減れば夜眠りもするし、涙もながせば(もっぱら欠伸に伴い生理的に滲む程度だが)、嬉しければ笑いもする(笑顔より先に足が出がちだが)。それでも、俺がびびってるって相手が尋常じゃなかった。糞真面目な糞マネが言うところの、虚弱で貧弱で脆弱で最弱な小早川瀬那と言う少年を恐れているのだから。

 正確に言うと、その糞チビを前にした、俺自身の異様な反応に、びびっていると言っていい。

 俺の目には、あいつが何をやったとしても、……………。

 ………………可愛いと。

 糞可愛いとしか、映らなくなってしまったのだ。

 

 俺の目は、腐ってる。

 

 

「あ、ヒル魔さん、お早ようございます」

 糞、小首を傾げながら笑顔で挨拶すんじゃねぇ!危うく可愛いと叫びそうだったじゃねえか!!!

「…おう、はよ」

 俺の一瞬間の空いた無愛想な短い挨拶にも、何も不振には思わなかったのか、糞チビは、俺がガムテープで貼っ付けてやった主務服に既に着替えて、戸の前に棒立ちになっていた俺の脇を通り抜けグラウンドに出て行こうとする。その俺の胸辺りまでしかない、ひょこひょこ動く頭を咄嗟に抱き締めそうになって、俺は慌てて万歳するように戸の枠を掴んで堪えた。

 トンネルを潜るように俺の腕の下を通り、糞チビは申し訳なさそうに首を竦めた。

「あ、済みません。ヒル魔さん」

 悪いのは狭い入り口に何時までも突っ立っている俺の方だというのに、謝る糞チビの性格に、昔の俺なら早々に銃乱射して練習に向かわせているはずだが、今の腐った目を持つ俺には、それも出来ない。

 いいからさっさとグラウンドに行け、と手を振り糞チビを遠くに追いやりながら、俺は脱力しつつ、ロッカールームに向かった。

 駄目だ。朝っぱらからあいつは糞可愛い。

 

 

 

「あれ?今日はまだ、ヒル魔さん一人なんですね」

 四時限目の終了の鐘が鳴ってからきっかり五分後。やたらめったらファンシーな模様の弁当箱入れをぶら下げ、糞チビが部室の引き戸を遠慮深げにそっと開いた。

 アメフト部員は、ここ最近、アメフト部の部室で昼飯を食うのが習い性になっていた。何故なら部室にはヤカンが在るからだ。

 このヤカンと言うのが、泥門のどのクラスにも二つ存在する。それは昼休みや休み時間に、そのヤカンから好きに中に入っている飲み物を飲んで良い事になっている。コップは持参か、紙コップが常備されている。そのヤカンの中に入れる飲み物は、週番制になっているヤカン係が事務室から各種類の茶などを貰って補充する他に、自分の権限で好きな飲み物を持ち込んで容れて置く事も出来る。つまりは飲み放題って訳だ。

 教室のヤカンでは、タイミングを外すと空になっていたり、自分の好み以外の飲み物が入っていたりする。その点、アメフト部のヤカンはつねに満杯で、中身もスポーツドリンクか麦茶で有ることが多い。

 そんなヤカン目当てに、アメフト部員はいつの間にか昼休みに部室に集まる様になっていた。

「今日はまもり姉ちゃんもモン太も十文字くん達も、お昼に何か用事があるみたいです。栗田さん達も何か用事があるのかなぁ?」

 糞チビはキョトキョトと、でっけぇ瞳を瞬きながら、ヤカンに一番近い椅子に座り、ファンシーな布の中からこれまたファンシーな弁当箱と箸容れを取り出し広げ始めた。俺はカウンターに座り、パンを片手にPCをいじっていた。もそもそとそれを口に運びながら、横目で逐一糞チビの仕草を追ってしまう。

 糞デブも糞ザルも糞マネも、その他有象無象も、今日の昼休みにゃ部室に来れねーよ。

 糞チビの独り言のような呟きに、俺は心の中でそう囁いた。何しろ、俺が教員に圧力を掛けて、用事を言いつけた。別に糞チビと二人っきりになりたかったとか、そんな下心じゃねえ。断じて違うぞ。誰がビビってる相手と好き好んで二人っきりになりたがるかよ。

 俺は兎に角、この腐った目の現状をどうにかしたかった。まさかとは思うが、このままでは、アメフトの試合に悪影響が現れないとも限らないと懸念したからだ。かといって、練習中にそれをしようなんて、時間が勿体ねえ。俺個人の問題に、アメフト部全体を巻き込む訳にもいかず、苦渋の選択で、昼休みに二人っきりになって、可愛く見えるこいつに、腐った俺の目を慣らそうと考えたのだ。

 つー訳で、いざ尋常に勝負。

 カーン!

 俺の頭の中だけでゴングが鳴った。

 

 ああああ、糞甘ぇ黒豆が上手く箸で掴めないからって、指で摘んで食うな!その指も舐めない!!

 乳臭ぇほっぺに飯粒付けんな!取ってやりたくなんじゃねえか!!!

 両頬一杯に食いもん頬張んな!!喉つまるぞ………。

 ケチャップくれえ口の周りに付けないで食えねえのか………。そしてそれを舌で舐めとるなよ……………。

 ………………………。

 

 当初の俺の意気込みはどこに行ったのやら、だんだんグロッキーになってきやがった。

 何って、俺の理性が。

 こいつはヤバい。目も反らしたいが、金縛りになった様に、それも出来ねえ。こいつは、相当手強い。やっかいどころの話じゃねえ。

 俺は白旗振って逃走したい気分に駆られる。

 こんなん………こんな糞可愛いのに慣れるなんて、考えた俺が馬鹿だった………っ!

 

「あ」

 ギク。小さく糞チビがそう呟いたのに、俺の全身が強張った。しかし糞チビはそんな俺の様子に気が付く事無くポッソリと言葉を続けた。

「マグカップも紙コップも何時もの場所に無いや…どうしたんだろ?」

「…………あー、そういや糞マネが今朝、底にこびり付いた茶渋を取るとか言って、漂白剤に漬け込んでたな。臭いが酷ぇからって、そのバケツどっかに持って行きやがった。紙コップも切れたから、注文しとけって言われてたなー………」

 沈黙に耐え切れず、俺は何時になく饒舌に糞チビにそんな事を説明してやった。ヤカンを片手に眉を下げ、困った表情の糞チビは、俺の説明に納得したのか、あーと頷いた。

「そうですか。うーん…」

 チャプチャプとヤカンを揺すり、中身の液体の量を確認したらしい糞チビは、困った表情のまま俺に向かってニコッと笑いかけ、言った。

「中身も飲み切れそうな量だし、ちょっとはしたないけど、まもり姉ちゃんも居ないし、良いですよね」

 糞チビはそのままヤカンの注ぎ口に直接唇を付け、中身を飲み始めた。

 反らされる細く白い首筋、嚥下する動きが艶かしく分かる喉仏。唇からは、上手く飲み下し切れなかった液体が顎を伝いひと雫、ルーレット台に落ちた。

 

 ───キーンコーンカーンコーーン………

 

 助かったと考えるべきか…妙に間抜けな音を響かせ昼休み終了の鐘の音が辺りに響いた。

「ぷはぁ、あ、いけない、もう予鈴がなってる!僕、次の授業移動教室なんです!!遅れちゃう!!!」

 糞チビは、それでももたもたしながら、弁当箱と箸容れを、やっぱりどう見たってやたらめったらファンシーな弁当箱入れに包み込むと、さっと部室から飛び出して行った。

 それ、糞マネの趣味だろ。その弁当を見た瞬間から言う筈だった俺の突っ込みは、とうとう伝えられる事はなかった。

 後に残ったのは、呆然とした俺と、糞チビが口を付けたヤカン。

 何だ、これ…俺、試されてんのか?

 抗い難い魅力を発するヤカンを前に、無機物に負けてたまるかと、俺は漸くそれから視線を引き剥がした。

 糞、昼は昼であいつは糞可愛い。

 

 

「セナァア!!」

 放課後、グラウンドで指示を飛ばしていた俺の背中に、糞ザルの叫び声が突き刺さった。その声色に、俺は構えていたガトリングガンを肩から外し地面に放り捨てて、倒れている人影と、それを揺さぶっている小さな影に向かって駆け出した。

「揺すんな、サル!メットしてるとは言え、倒れた時に頭打ってっかもしんねえ!!」

 ぐらぐらと、糞チビの肩を揺すっていた糞ザルを引き剥がし、俺はアイシールドの隙間から見える僅かな肌色に視線を走らせた。それは異様な程血色が良く、それなのに汗は掻いていない様子だった。

「貧血じゃねぇな。熱中症か…」

「ヒ…ルまさ……」

 糞チビは意識を混濁させながらも、気が付いたらしかった。兎に角、今はこいつを保健室に運ばないと、何時糞マネが切れたドリンクを作り終わって戻ってくるとも限らねえ此処では、メットを外す事も出来やしねえ。

「たいした事はねえ!!テメエらは続けて練習してろ!糞マネが戻って来ても、保健室にゃ近付けんなよ!!!」

 周りにそう言い捨て、俺は防具をまとってすら軽い糞チビの体を攫って、校舎へと踵を返した。

 

 保険室は外出中の札が掛かっており、保険医も勿論中には在中していなかったが、これ幸いとスペアの鍵を懐から取り出し、俺は無造作に扉を蹴り開けた。

 糞チビの額と両脇の下にタオルに包んだ氷嚢を押し当て、保健室の白いパイプベットの上に寝かせる。水は、ベットに横たわらせる前に、保健室に備え付けられていた冷蔵庫内に保管されていたミネラルウォーターを勝手に拝借し、震える手で上手く飲み込めない糞チビの背中と手を支えて少しずつ、たっぷりと飲ませてやった。

 糞チビの横たわったベットの枕元には、小物入れの付いた白い机が備え付けられていた。その机の上には、アイシールド付きのメットとミネラルウォーターのペットボトル。

 浅く苦しそうだった糞チビの呼吸が、段々落ち着いてくるのが、シンと静まり返った保健室に響いた。

 熱中症で一番怖いのは、体温が高くなって引き起こされる内蔵疾患だ。まず、体の中から冷やさなければいけないので、糞チビの防具は全て俺が取り去っていた。しかし、上半身裸の糞チビを見るに耐え切れず、俺はユニホームを糞チビにまた被せて、ベットに転がした。その所為で、ユニホームの下は何時もに況して頼りなげにペシャンコに萎んで見えて、俺は内心気が気ではなかった。

 糞チビは、フーと一つ、溜息を零した。大分マシになったらしい。瞑っていた目蓋を押し開け、俺の方を見た。

「ありがと…ございます、ヒル魔さん。大分、楽になりました。練習…戻って下さい。皆、待ってる……」

 その声は干上がり嗄れ辿々しかった。内心、俺は苦虫を噛み潰した。それが出来りゃ、ベットに寝かせた時点で俺はとっくにグラウンドに戻ってる。

 それに、俺はこいつに確認しなければならない事があった。

「アイシールド、外してえか」

「………え?」

「これから、まだまだ暑くなる。練習は今以上にキツくなる。こんぐれぇでぶっ倒れているようでどうする。お前の体力じゃ練習が身に付くまで保たねえ。アイシールド、外してえか」

「あ………」

 糞チビは、はっとした様に、ぼんやりとした表情を改めた。

「僕、アイシールドは、まだ外しません。そりゃあ最初はヒル魔さんに言われて無理矢理被ったけれど、今は、それを目標にしているんです。少しでも、近付ける様に。僕、もっともっと体力つけます。僕、アメフトが好きです」

 ………………………。

 ああ…糞!!!

 認める。認めてやるよ。

 俺は、糞チビの仕草も、糞チビの表情も、糞チビの小さな体も、糞可愛いと感じていた。

 けどな、そんな外見上の問題じゃねえ、糞チビの……小早川瀬那の、その姿勢が…性格が…真っ直ぐな瞳が。

 愛おしいと………。

 セナの全てが愛おしいんだと、認めてしまった。

 俺の目が、腐っていたんじゃ無かった。

 腐ってんのは、俺の脳味噌だ。

 完敗だ。俺はとうとう白旗を振った。

 

「ケケケケケッ!糞、ああそうか。そんじゃ遠慮なく、今まで以上に扱いてやるよ。覚悟しやがれ!」

「ひぃ!ひあああ、ははは、はい〜〜〜!!!」

 絶対善からぬ事を考えているとよく言われる笑みを浮かべ、俺は態と糞チビを脅かす様に言った。

 糞チビは、一瞬早まったかな、と言った表情を浮かべても、それでも俺の言葉に確りと返事を返した。

「取り敢えず、お前は今日はそのままそこに寝てろ。練習終わったら迎えに来てやる」

「え?いやいや、そこまでは、悪いな〜なんて…」

「返事!」

「はい!!!!」

 俺が懐から出した拳銃を突き付けると、糞チビにしちゃきっぱりとした素早い返事が返ってくる。それに満足した俺は、ベットを外界から遮るカーテンを蹴り上げ、糞チビの視界から消えた。

 それにしても、怯えた様子で目尻に涙浮かべた糞チビも、糞可愛かった。

 保健室の扉に手をかけながら俺はするりとそんな思考を巡らせた。思いを認め、びびる要素が無くなってしまった俺の目の腐り度は、更に進行してしまったようだ。

 放課後も、糞チビは糞可愛い。

 

 脳も思う存分腐っているが、やはり俺の目も、十分腐ってる。

 

 

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