背中の傷

 

 泥門アメフト部の一年生組は、ロッカールームに続く部室の入り口の前で仲良く団子状態に固まっていた。傍から見れば、年頃のいかつい男共が筋肉質な身体を押し合い減し合いしている様は、非常に暑苦しく、かつ不振である。

 しかし幸運なるかな、ここにその事実を指摘できる他人は存在していなかったし、本人達ははっきり言ってそれどころではない。

 なあ、と誰かが誰かの脇を肘でつついた。

「こんな所で立ち止まってないで、中に入れよ…」

「十文字が邪魔で中に入れないんだよ。はっきり言ってすげーうっとおしい」

「………。うるせーよ」

「トガ、あんまつついてやんなよ。ご長男は複雑なお年頃って奴なんだ。まあなー十文字の心境も理解出来なくはねーけどよ。あれってさあ、あれだよな」

 黒木の言葉に、一年生達の表情に微妙なものが走る。それぞれがまた、浮かべる表情に微妙な違いがあるのが、その場の空気を複雑にしていた。

 その中の一人が、ポツリと呟いた。

「セナと着替えてるとさー、時々ギクリとすんだよな。なんかさー、あいつの背中、時々見える角度によっては女の子に見える。俺、今だに一瞬、鈴音かまもりさんの着替えに遭遇しちまったのかって慌てるんだよな」

「フッフゴッ!い、色気…!」

 小結が、勢い良く首を上下しながら、モン太の台詞に追加した。あー、と誰かが唸った。

「確かに。よく見なくてもよ、やっぱり男の身体してんだけどな。でも、妙にエロいんだよなーセナの背中。小せえからかって思うんだが、コイツらは全然んな事ねーしな」

「んだよ、戸叶、俺たちの事そんな目で見てたのかよ」

「ばっか、誰が好き好んで男の身体見るかってーんだよ!なんつーか、セナには、なんでかそうさせるような力がある、そんな色香があんだよ」

「うーん、兄の立場から言わせてもらうとね、鈴音はセナくん程色気も色香も存在しないね。その点においては、セナくんの勝ちかな?」

「んだよ、瀧、お前ジェントル気取ってんじゃねえのかよ?いいのか?紳士がんな事言って。実の妹が男に色気で負けてるってーのはどうなのよ?」

「チッチッチ!真のジェントルは嘘は吐かないものさ、黒木くん。それになにも、エロチシズムは女子だけのものじゃないさ!その証拠にほら、僕なんか溢れ出るフェロモンを押さえ切れなくて誰をも魅了してしまうじゃないか!罪作りな僕!アハーハー!!」

「誰だよ、このバカに会話をふったの。小結、お前のバカ力でちょっくらこのバカの口押さえてろよ。で、十文字、お前は何でさっきから固まってんだ?つーか、瞬きくらいすれよ。はっきりいって今のお前、怖えーよ」

 戸叶は、色付きの眼鏡の弦を人差し指で押し上げながら、ロッカールームに続く入り口の前で仁王立ちしている長年の友人の肩に手を乗せた。

「…あいつの…セナの白い小さな背中に、あんなにくっきりと跡がつくまで…!俺だって、上から覗ける鎖骨だとか、日に焼けない白いうなじだとか、肉の付き難い薄い脇腹だとか…………!」

「うわ!トガ、こいつが一番アブねえ!小結、バカの他に長男追加!押さえとけ!」

「フゴ!」

 小結は戸叶と黒木の言葉に従い、長身の二人の膝裏を手刀で突きバランスを崩した所を、短い腕を精一杯伸ばし、左手で夏彦の口を押さえ、右手で十文字の頭を抱え込んだ。そうされても夏彦は夏彦で己の世界に浸っているし、十文字は十文字でぶっ飛んだ眼差しでいまだにロッカールームへと視線をやり、ぶつぶつ何事か呟いている。

「あーあー…こんな所で人を狂わしてるセナの色気ってーのも、凄いもんだよな。本人の性格に、そんなもん一切匂わない所がまた、なんと言うか気の毒と言ったらいいのか…親友として、何か助言してやるべきか…?これ………」

「やめとけ。経験浅い俺らじゃきっと的もな事になりゃしねーよ。指摘された方がきっと凹むぞ、あいつ」

「あれ、トガ、経験浅い事認めんのか〜?」

 黒木が年頃の男子高校生が仲間内でよくやる見栄を張ろうと戸叶の台詞を混ぜっ返すが、当の戸叶は、しれっとそれに答えた。

「そーだろ?少なくとも、セナは俺らより経験豊かだろうが。あんなにくっきりと証拠残してんだし」

「うが〜?!てことは何か、俺はセナに負けてんのか〜〜〜!」

「バカだなクロ。自滅しやがって。それにしたって、ありゃ痛そうな色してるよな」

「なんかもー、『吸う』って言うよりより、『喰う』だよな。ヒル魔先輩独特の歯の形してっし、痛かっただろうな〜」

「あれな〜…キスマークなんて生易しいもんじゃなくて、まるっきしマーキングだよな。歯形がばっちり。しかし本人は気が付いてないのかね?いくら見難そうな背中についてるからて、あんなに堂々と晒しててよ。俺らのほーが、気ぃ使うっつの!つうか、俺もあんな跡、誰かに残してみてぇー!」

「ほら、クロ、また墓穴掘ってるぞ。しかし、ありゃ、独占欲丸出しだよな。隠す気無いんだろうなーあの悪魔は。それに気苦労感じてる俺らも俺らだけどよ」

「気を使うって言うより、気力を使い果たすよな。どうしたって目線はいっちまうしよ。そう言う意味で見てなくても、そういう風に嫌でも意識しちまうよな。何であんな無駄に色気MAXなんだよ〜」

「無・無駄!」

「そう、無駄だよな。どうせあいつを好きに出来る奴なんか、あの悪魔しか存在しないのによ。誰にアピールする必要があるんだよ、あの色気!あそこまで無意味にエロいもん、初めて見たぜ俺は」

「クロ、それ以上は言ってやるな…その無意味で無駄なセナの色香に狂ってる奴が哀れになってくる」

 あぁ〜と、その場にいた殆どが、小結の腕の中の十文字へと視線をやった。しかし十文字は、それぞれの哀れみがこもった視線をものともせず、ロッカールームに熱い視線を送り続けている。

 その報われなさが、一層泥門アメフト部一年生達の涙を誘う。

「だからさ、俺、十文字の気持ちも分からなくは無いんだよなー」

 そんな中、黒木は改まって、ポツリと呟いた。それは、恐らく、最も踏んではならない地雷の一つだったろう。それでも、あえて踏み込んでしまうのは、そこはやはり同じ年代の男子が揃った力とでも言うのか…。

「さっきから、何が言いたいんだ、黒木は?よく分からねーよ。何が十文字の気持ちも分かるってんだ?」

「分からないか?これだからサルは…。だってよ、見ろよ。セナのあの背中。俺ら年頃の至って健全な男子高校生だぜ?身近にあんなエロいもん置いてあって、くらっと来るなって方が無理あるぜ。悪魔もそこんとこ配慮に入れてくれなきゃよ〜…。俺は卑怯がモットーでも、嗜好はごくごくノーマルなんだよ!つーか、ノーマルから踏み外させないでくれ〜〜〜!!!」

「サルって言うな!ムキャーーー!!!黒木まで、狂った!戸叶、お前三男坊だろ?!何とかしろよ!!!」

「サル!三男って何だよ!つーか、ありゃクロのせいじゃねえ!猥褻物を陳列しとく悪魔が悪いんだ!!サルだって、どっかクルもんが無いとは言わせねーぞ!この際抜け駆けは無しだぜ!!」

「わー!わー!言うな〜!!!俺はセナの親友だぞ!!!!俺にはまもりさんと言う人が…………!」

「フゴッ………な・仲間…!!!」

 今まで、何とか小声でこそこそ固まって居た一年生達は、そこでとうとう大きな混乱の渦に陥ってしまった。狭い部室には、わんわんとその声が響き渡る。

 その喧噪に漸く気が付いた、ロッカールームで着替えていた人物は、ビクリと飛び跳ねて部室へと続く入り口に視線をやった。

 そこには、小結の腕から抜け出した夏彦がくるくると踊り狂い、普段ならそれに対抗するモン太は頭を抱え何やら叫んでいるし、小結はフゴフゴと何かに酷く興奮している様子だった。三兄弟はと言えば、長男十文字はこちらを凝視したまま、体育座りで何やら呟いているようで非常に恐ろしいし、次男黒木と三男戸叶は、そろってその場をぐるぐると追いかけっこしている。

 セナは心底その情景に驚いて、着替えもそこそこにその場に駆け寄った。

「何?!どうしたの、皆!何があったのー!!!」

 そのセナの姿は、制服のスラックスのファスナーは閉められておらず臍が覗けているわ、ネクタイの閉められていない白シャツは途中までしかボタンはかけられておらず、肉のあまり付いていない白い肌の胸が惜しげも無く晒されている。

 その着崩れたセナの姿に、今までそれなりにおとなしく黙っていた筈の、黙っていられない人物がいた。

「…セ・セナァアアァアァァア!!!!」

「は、はいいいい??!!!!」

「ご長男がプッツンしやがったーーー!!!殿中でござる!つうか、部室中でござる!!悪魔の口の中でござる!!!」

「ぎゃー!!!まて、十文字、ストップ!おすわり!ハウス!!!!」

「逃げろ、セナ!つーか、服をキチンと着て来い!!!俺らにも目の毒だぁ!!!」

「ひ・ひぃぃいぃいいい?!」

 

 

 ───ギャーギャー・ワーワー………

 

 もの凄い音が聞こえてくる部室の引き戸を前に、ポツネンと立っている影が三つ、そこにはあった。

「ねえ、ムサシィ…」

「栗田。そんな目で俺を見たとして、俺にはこの騒ぎはどうにもならん。俺も一応こんななりをしているが、一介の高校生でしかないからな。それなりの経験値しか積んではいない」

「うん…そうだね。あの、ムサシくん。この様子、ヒル魔くんは何所かで聞いてると思う?」

「雪光、それは愚問だな」

 ああ、と三人同時に口から重苦しい空気が漏れ出て行った。

「ヒル魔…これ、どう収拾する気かな…」

「あいつのする事に抜かりは無いだろ。だからと言って、これは…」

「ですよね…はははは………」

 

 三人の間に、夜も更けた、些か冷えた風が吹き抜けて行った。

 

 

 

 

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