他人から見た関係性・4

 

 

「モン太くん、セナのあの頬の傷、本当に余所見してて廊下にある消化器に打つかって出来たものなの?」

「セナがそう言うんだから、そうなんっスよ」

 栗田は、部室の裏にその大きな身体を隠し、同じアメフト部の部員二人の話を盗み聞きしていた。別に、自ら進んで、その話を必死に隠れながら聞いている訳ではなかった。

 けれども、栗田の目の前に座り込み、黒光りする鉄の塊を抱えながら栗田と同じく部室の裏に隠れ、その二人の会話に積極的に聞き耳を立てている人物の歯止め役になれるのは、今の所栗田しかいなかった。

「……ねえ、モン太くん。セナが誰かに傷付けられるのを黙って見ていたい?そしてそれを黙って見過ごしていられる?」

「まもりさん、セナは故意に嘘を吐くような奴じゃないっスよ」

「そうね。あの子はそんな子じゃない。故意に嘘を吐くような子じゃないけれど、善意には、それがどんなにへたでも、吐き通してしまう。そんな子よね?そうでしょ?モン太くん」

「……まもりさん。こればっかりはまもりさんからのお願いでも、俺の口からは言えねぇや。セナと男と男の約束したんだ。男ってえのは、仁義は通す生き物だ」

「…男の子ってずるいよね。一度決めてしまった事は、こっちがどんな事を言っても、曲げない。セナも、そんな男の子らしい意地を貫き通す様になったんだって思うんだけれど、それじゃあ済まない人が、いるわよね」

「………まもりさん」

「私が納得しないのなら、ヒル魔くんはもっと納得しないわよ」

「………………。

 はあ〜、まもりさんの口からヒル魔先輩の事が出てくるなんて…。本気なんっスね。でも、俺から言えるのはこれくらいっス。セナは、上級生らしい女子三人に呼び出されて、アメフト部を辞めろと言われたらしいっス。これ以上は、もう、勘弁して下さい」

「モン太くん…ありがとう。それで、その三人は誰だか、セナから何か聞いたかしら?」

「…そう言われると思ってたっス。大体の特徴なら………」

 それ以降、二人の会話は、その女生徒達の外見的特徴に移行していった。

 栗田は、足下で黙ってそれを聞き続ける、長年の友人の動向が気になって仕方がない。何時もなら、ここで即座に脅迫手帳なるものを開き、その特徴に該当する人物を幾人かピックアップしていても可笑しくない所だが、ライフルを抱え込み、身じろぎすらしない。だが、余程の力を込めているのだろう。長い銃身を握り込んだ指先は、白く血の気が通っている様には見えなかった。

 栗田とその足下に座り込んだ人物がそうしている間に、雷門とまもりの会話は終わってしまったらしく、雷門は練習をしにグラウンドへ、まもりは踵を返し校舎の方へと去って行った。

 暫しそのまま二人の間に沈黙が流れ、遠くに部活動に勤しむ生徒達の喧噪が聞こえ始めた。

 栗田は意を決して、その人物の名を呼んでみた。

「…ヒル魔ぁ」

「…………糞………煩ぇ。話しかけんな」

「けど、グラウンドに行かなくっちゃ。皆待ってるよ」

「…………俺は今、人間を三人、殺したって何の呵責も生まれねえ程機嫌が悪ぃ。俺に誰かを殺させたいのか?」

 栗田の友人はよく、周囲から怒ると怒鳴るタイプだと思われている。しかしそれは周囲に対する見せかけだ。ヒル魔がその複雑な心の底で本気で、怒ったり、悔やんだり、苦しかったりする時は、本当に、冷たいくらい静かになるのだと、知っていた。それはとても、痛いくらいの冷静さだった。時には、喚いたり泣いたりすることで、人間は心の安寧を図ろうとする。しかしヒル魔は、自身にそれを許さない。自分の中で一頻り、その嵐を耐え抜いて耐え抜いて…それからやっと、激情を少しだけ外に洩らす。まるで堪え切れない溜息のように。しかしそれも、ほんの一部でしかないのだ。栗田はそれを知れる程度には、ヒル魔と長く付き合って来ていた。そしてそれが、本当に数少ないと言う事も知っていた。

 それが今、ヒル魔の身に起こっている。ヒル魔はそれほど、怒りに身を満たしていた。

 しかしそれは一体何に対して?

 栗田はそれを疑問に感じた。ヒル魔は先程嫌に具体的に、殺したいと思った人数を上げてみせた。しかし、ヒル魔はそう簡単に自分の本心を見せたりはしない。それすらも、ヒル魔のポーズではないのか…と栗田は感じたのだ。

 栗田は、こう言う時、ヒル魔を独りにはしたくなかった。独りでどう仕様も無い感情を処理するのは、とても苦しい。頑張りすぎるヒル魔に、少しでも緩衝剤になれれば…。栗田は、自分が思いつく限りのヒル魔の憤りを、一つずつ、取り除いて行く作業を始めた。

「ヒル魔、そんなに怒らないで。セナくんは、アメフト部を辞めたりなんかしないよ」

「糞デブ、煩ぇっつってんだろ」

「それに、多分、姉崎さんが上手い事やってくれるよ」

「黙れ」

「セナくんに対する気持ちをセナくんには分らない様に、ヒル魔の事を良く見ている人達には察せる様にしたのだって、こう言う事が起きない様にの牽制だったんでしょう?結果はこうなっちゃたけど、悪い事にはならないようにって思った気持ちは本当なんだから。ヒル魔はモテるもんねぇ」

「糞・糞デブ。それ以上話したらどうなるか…」

「だからって、苛立ったりしちゃ駄目だよ、ヒル魔。自分がその人達に直接注意に行けないからって。態度をはっきりとは示さなかったのは、ヒル魔自身なんだから。それなのに今ヒル魔が出しゃばったら、余計にセナくんの立場が悪くなっちゃう。ああ、でも、それが一番、怒ってる理由なんだね」

「糞・糞・糞デブ!!!!」

「そんなに自分に怒らないで、ヒル魔。ヒル魔だって、完璧じゃないんだから。思う様にならない事だってあるよ。でもこれからもこんな事があるんじゃ、怒るんじゃなくて、考えなくちゃいけないよね、ヒル魔は」

「……………これだから、てめえは手に負えねぇんだ、糞デブ」

「伊達に、長年ヒル魔の友人やってないからね」

 そう言って、栗田は朗らかに笑った。少しでも、自分の言葉が友人の手助けになればいい。栗田は心の底からそう思った。

「ヒル魔、今は出来る事をやろうよ。この出来事を黙って、アメフトを続けて行く決意をしたセナくんが、グラウンドで待ってるよ」

「…………おう」

 ヒル魔は、一言そう返事をし、漸く重い腰を持ち上げた。その表情には、先程の、自分を罰するかのような痛いくらいの冷たさは、既に消え去っていた。

 

 

 セナが頬を腫らした日から数日後、泥門アメフト部は、部室に集まって仲良く昼食を摂っていた。何故、部室に集まったかと言うと、ヒル魔が、メールで部員に『今日の昼は部室でミーティングやる。来ねぇ奴は午後の授業は空気椅子で受けさせるからそのつもりで居ろ!』と送って来たのだ。

 そんな事、ヒル魔からは一言も言われていなかった栗田は、些か疑問に思った。幾らワンマンが好きなヒル魔とて、ミーティングの前は栗田にもその話の内容を相談するからだ。部員が増えてからは特に、事前の打ち合わせは多くなった。

 それが今回は全く無かったのだ。だからと言って、ヒル魔の唐突な行動が全く無い訳でもなかったので、栗田は幾ばくかの疑問を感じながらも、素直に部室に大量の食料を持ち込み部室のカジノ台の上に盛大に広げていた。

「ヒル魔くん遅いわね。自分で呼び出しておきながら、自分が一番来るのが遅いんだから、もう…」

 まもりが言うように、既に昼休みの時間から十分後に入る放送も始まっており、早いものは、既に食事を終えていたりする。大半はまだ、お弁当などを食べていたが、手持ち無沙汰に頬杖を付いている者も居る。

 栗田は、そんなアメフト部の和気あいあいとした空気の中、周囲からは猛然とした勢いと取られる、栗田にしてはごく普通の早さで大量のお弁当を掻き込んでいた。その隣には、弟子となった小結が、同じく大量の食料を口に詰め込んでいる。ヒル魔が唐突で、究極のマイペースである事は何時もの事で、最早不平を言う気すら起こらない。

 栗田の目の前では、左頬を微かに青く染めたセナが、栗田にとっては一口にしかならないような小さなお弁当を、美味しそうにのんびりと食べていた。

 ───〜♪はい、次のリクエストは…って、な?!またあなたで………ぐぎゃ!?!!

 ブツン。

 アメフト部に居た、全員の動きが一斉に止まった。

 急に不穏な声を聞かせ途切れた放送に、嫌な既視感を感じる。誰かが、何かを言う前に、再びスピーカーからマイクのスイッチが入れられたらしい、プツンと言うノイズが聞こえて来た。

『あ〜従順なる、泥門高校の皆さん。今日は大事なお知らせがあるので、耳の穴かっ穿じって、一言一句聞き漏らさずに聞いてください。

 えー俺、蛭魔妖一は、一年二組小早川瀬那くんの事を愛しています。今後、小早川くんに手出しする場合は、その事をよぉく含め、熟孝に熟孝を重ね、自分の将来が未来永劫どうなってもいいと思うのなら、ちょっかい掛けてください。その場合、どうこうしようと考える命知らずな方は、この蛭魔妖一が全力を持ってして、どんな手段を使ってでも、相手をするので、覚悟しておいて下さい。

 また、奴隷班は、そんな勇気ある輩を発見次第報告する事を第一優先事項として今後義務づけますので、その旨お忘れなきよう。

 それでは諸君!引き続き気持ちのいいお昼の一時をお過ごし下さい───』

 ブツン。

 ボロリ。雷門の手から、デザートなのか、主食なのか判らない、バナナが零れ落ちた。

 ブツン。

『YaーーーHaーーーーー!!!言い忘れていたが、と言う訳だから糞チビ!今から迎えに行くから其処を動くんじゃねえぞ!!!!』

 ブツン。

 まるで止めのように入った追加の放送に、一斉にセナへとアメフト部の視線が集まった。

「…………あ、これって、もしかして、セナくんが逃げようとしたら、僕たちが取り押さえろって言う保険?」

 雪光が、ボソリと的確な呟きを零した。

「て言うかこれ、校外放送だったよな…今の宣言、ご近所まる聞こえ?」

 三兄弟の誰かが、やはり囁きのような声を洩らした。

「フゴ!」

 小結が、それどころか、泥門高校に居る生徒・職員・用務員合わせて800人弱全員に知れ渉った…云々と言ったが、パワフル語なので、栗田にしか伝わらなかった。

 何時もはその言葉の通訳である栗田は、声を発する事が出来なかった。

 もしかして自分は、とんでもないものの引き金を引いてしまったのではないだろうか?

 栗田が促した、セナの為に考えなくては行けない事…は、とんでもない形になってしまった。

(ごめんね、セナくん。結果的には、ヒル魔をけしかける事になっちゃったけど、悪い事にはならないようにって思った気持ちは本当なんだよ〜〜〜〜!!!!)

 栗田は必死に、目の前で瞳をまんまるにして固まっているセナに、謝った。

 ヒル魔は、あの件で、相当悔しい思いをしたらしい。考え得る一番の力技に出て来た。

 セナの逃げ道は、限りなく狭められてしまった。

 一部の他人が見て、微かに判る程度だったヒル魔とセナの関係性は、今や泥門関係者には、一目で見て判断出来る判りやすい関係性に変わってしまった。

 

 否、ヒル魔自身が変えてしまった。誰にも真似出来ないような手段で。

 

 

 

「な・な・な・な!!!ヒル魔くんの馬鹿ーーーーー!!!!!何考えているのよ!!!!!!」

 衝撃の放送が入った数分後、まもりの絶叫が、泥門高校に響き渡った。

 

 

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