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1・幸福の子供達

 

 

「あ〜、新八ィ〜、原チャ出してやろうか?」

 ソロソロと空き巣のごとく怪しい足取りで、万事屋の居間兼事務所から出て行こうとしていた少年の成長途中の小さな背に、そう声を掛ける。ビクリと大げさな動きをして、妬ましいくらいのサラサラと真っ直ぐな黒髪が跳ねた。

「い、いいえ〜。おかまいなく〜」

 ぎこちない動作で振り返り、あからさまな引きつり笑いと共に後ずさり、その内にぱっと身を翻して脱兎のごとく玄関から飛び出して行った。

 残された銀時は籐椅子の上に胡座をかいて座り込み、いかにも何かありますよ〜と全身で体現していった少年の挙動不審っぷりにどうしたもんかねぇ…と、指先で頬を掻いた。

 毎年、この時期になると、万事屋の従業員達の動向が忙しなくなる。その所為で日々の季節の移り変わりすら気に留めない銀時が、もうこんな時節かと感じ取る。

 一生懸命に隠そうとしている子供達の態度が、銀時の全身をくすぐり、むずむずしてどうしようもない。知らない振りをしている自分が、何だか恥ずかしい。天然パーマも忌々しい髪の毛を掻きむしって、あ〜〜〜!と叫びたくなる。まさか己がこんな温い衝動に身を苛まれる日が訪れようとは、つい数年前までは思いもしなかった。

 全く持って隠せては居ないのだが、精一杯銀時の事を思って隠そうとしている子供らの気持ちを踏みにじりたくはないので、内心はどうあれ、面の皮が厚いと誰もが認めるやる気の無い表情を保ち、俺は何も気付いてませんよ〜、と日常生活を営む。つまりはぐうたらする。しかし黙って寝ていると、神楽の、新八の、そわそわこそこそした態度が余計に伝わってきてしまい、何とも尻がむず痒くなってしまうのだった。

 それも今日が大詰めだ。買い物に行く振りをして(その挙動はあからさまに怪しかったが)新八が向かった先は、恐らく二駅先にある彼の実家で、そこには先に、定春と何時もの様でいてどこか落ち着き無く遊びに出掛けて行った神楽が居る筈である。

 多分昼前に目の前の黒電話のベルが鳴り、態とらしく何らかの用事を妙から言付けられ、恒道館道場に向かう事になる。

 こんな手筈まで分かり切っているのに、一生懸命準備しているのだろう子供らの夢を壊さぬように、必死に知らぬ振りをして、あまつさえ驚いてみせようとしている己を、昔の知り合いが見たら大層驚き笑い転げるに違いない。

 気恥ずかしさを余所にやろうと、思考を態と外してみたが、己の想像にむかっ腹が立ち、頭皮は常々大事にしたいと考えているのに、とうとう本当に天パに手を突っ込み、掻きむしってしまった。

 恥ずかしがっているのを知られるのが一番恥ずかしいので、絶対に人前ではやらないが、今ここに居るのは自分一人である。思う存分内側の様々な煩悶を、行動に移した。

 頭を掻きむしって幾分か、言葉にしようもない衝動は落ち着きをみせた。途端、人気の無い万事屋内が急に寒々として己の目に飛び込んできて、銀時は思わずギョッとした。

 昼にほど近いが朝の歌舞伎町は夜の比にならない程物静かだ。だがそれだけではない事務所内の静けさに、マジかよ…と小さく呟いた。

 最近では万事屋内で一人になる事などほぼ皆無であるが、眼鏡の地味な少年が数年前にここに飛び込んで来たよりも遥かに長い間、この住処には一人で居たはず。なのに数十分間の僅かな間、一人になったくらいで、こんなにも物寂しく映るものなのか…一人暮らししていた頃には無かった荷物がそこここに置かれ、人気が無くとも同居人の気配をふんだんに感じさせると言うのに、その残り香だけでは満足出来なくなっている自分を、こんな僅かな間にまざまざと実感してしまい、銀時は大きく嘆息した。

 他人に興味が薄い筈の己が、どれだけあの子らを求め大事に想っているのか、本人の自覚を越えて思い知らされ、勘弁してくれ、と腹の底から呻いた。その口元には、自嘲ではない笑みを浮かべながら。

 ジリリリン…───と、手元の黒電話が勢いよく叫ぶ。

 さあ、その手で掴みなさい。もう何も持ってはいないなど、言えなくしてやるんだから、と。

 空っぽの掌の中に飛び込んできた荷物達は、ぐうたらな持ち主に次から次へと容赦がない。重いと呟いたならば、その重いのが嬉しいのだろうとしたり顔で、その癖それ以上に嬉しそうな顔で、銀時の両手にしがみつきぶら下がる。

 その手を既に放せぬのは銀時も同じ事で…これがいわゆる幸せと言う奴なのだろうと、いくら気恥ずかしくとも認めない訳にはいかなかった。

 黒電話の受話器を取り、二三の簡単な受け答えで、さっと原チャの鍵を掴んで玄関の外へ。

 一瞬、酒も用意されているのだろう宴席に向かうのに、止した方がいいかと思ったが、銀時を驚かして喜ばせたいとそわそわしていた子供らの元へ向かう道行きを、徒歩でだなんて悠長な事をすれば、尚更気恥ずかしさが増すだけと、その選択肢は捨てる。

 その底に、一刻も早く彼らの元へ行きたがっている自分が居る事を、意識的に見えない振りをしながら。

 まぁどうせ、呑んでも呑まなくても泊まる事は相手方も前提としているだろう…と言い訳し、銀時は原付バイクに跨がり道場への道行きを駆けた。

 

 

 

 

2・割れ鍋に閉じ蓋

 

 

「銀さん、お布団敷けたんで、寝るんならそっちにして下さい」

 姉に接待と言う名の酒瓶責めを受けた雇い主は、見事に真っ赤な顔をしてひっくり返っていた。その姉は今晩は神楽と一緒に寝るのだと、うきうきと自室に下がった。二人を万事屋に返さない為の策だったのか、それとも日頃の鬱憤をはらしたかっただけなのか、いまいち判別は付き難い。両方の理由があったとしても、割合は後者の方が多くを占めていそうだった…。

 酒を呑むのは好きでも、酒精に強い訳では無い因果応報な雇い主が、酒盛りの次の日に、更に死んだ魚の目を晒している光景は最早新八の日常の一部だ。とは言え、折角の誕生日の次の日に、死体にさせるのは忍びなく(半分以上己の姉が原因を担っている事も理由の一つで)、せめて少しでもダメージを減らしてもらおうと、宴席の設けられた茶の間の直ぐ隣りに、前日干しておいた客用の布団を敷いた。

 既に死体に近い酒臭い身体を揺すると、うにゃむにゃと意味不明な呟きが返された。動けないとか、そんな事のようだった。

 仕方無いと、新八は伸びて力の入っていない重い両足を掴み、リアカーのように引きずって数歩の距離を移動する。端から見れば酷い扱いのようだが、新八よりも身長も体重もある意識のはっきりしない人間を持ち上げるのは、鍛えていてそれなりに体力腕力がある道場の跡取り息子でも、存外骨が折れるのだ。こっちの方が早いし、取り落とす心配も無いので端からどう見えようと気にしない。

 ぐでぐでの身体をよいしょお! と敷いた布団の上に転がすと、流石にそこまでされてようやっと意識が戻ったのか、呂律の回っていない言葉が返された。

「酔っ払いを回すんじゃねー。吐くぞ」

 明らかな脅迫に、仕方無いなぁとため息を吐いた。

「ごめんなさい。だってあんた重いんですもん。ちょっと太りました?」

 一応謝りつつも、最近弛んできたように見える脇腹を突つくと、その手首をがっしりと掴まれ。抗う間もなくあっという間に酒臭い身体に巻き込まれ、天井を見上げていた。

 据わった眼差しで新八を覗き込んだ銀時は、ガルルと唸りながら布団の上にまんまと転がった身体にのしかかってきた。

「誰がメタボか…」

 ギュウギュウと押しつぶしてくる銀時に新八はいささか慌てて、胸の前に手をねじ込み、何とか押し返そうともがく。まさかとは思うが、この勢いでこんな場所でことに及ばれるわけにはいかなかった。

「ちょ、銀さん、重いです臭いです!」

 態と相手を萎えさせるか挫けさせる様な言葉を選んだのだが、人一倍の捻くれ者は逆に燃え上がってしまったらしい。一層新八に体重を掛け、首筋に懐くように頭をグリグリと押し付けてくる。

「何だとぅ?! 銀さんの色気溢れるフェロモンに対して臭いとは何事だ! もっとありがたがって吸え、匂え〜」

「ホンッ当にどうしようもないくらい酔っぱらってますね、アンタ。口調変わってますよ。てーか、いい加減放して下さいよ。アンタの身が危ないんですからね!」

 狭い布団の上でジタバタしていると、その言葉に銀時の動きがピタリと止まる。酒精に麻痺していようとも、姉への恐怖は忘れ難いものらしい。

 これで解放されるかと肩の力を抜くと、その胸元に深く抱き込まれ、新八はギョッとした。

「ちょ、本当にヤバいですって! それはアンタも分かってるでしょう?」

「ヤりゃしねーよ。もう勃たねぇってくらいお前の姉ちゃんに酒かっ喰らわされたからよ。ありゃ明らかに確信犯だったぜ。お陰で誕生日だってのに、一番欲しいものが貰えねぇ…」

 拗ねたようにぼやく口調は、酔っ払いのそれでは無かった。

 新八を求める時、この男は普段のやる気の無さや興味の無さをかなぐり捨て、何時でも本気だ。

 は、恥ずかしい…! この人こんな恥ずかしい台詞を思わず言っちゃうくらい、僕の事好きなんだ!! 恥ずかしぃぃいぃいいいい!!!

 思わず瞬時にして頬に血を集め、内心身悶えていると、その隙を敏感に察したのか、ぎゅうぎゅうと力任せに抱き込んでいた腕が、居心地の良い様にもぞもぞと抱き直され、そしてピッタリとくっついて納まってしまった。器用に掛け布団を足で跳ね上げ、すっかり寝る態勢である。

「これぐれぇは許して貰いたいね。俺にはその権利があるはずだ」

 臆面も無く所有の主張を面と向かってされ、新八の中の抗おうとする気持ちは、みるみる萎んで消えてしまった。

 同じ布団に同衾している所を見つかれば、事を成していなくとも、銀時は姉の手によって宇宙の塵と化されそうではあったが、姉よりは早く起きて、その事態は回避すればいいかと算段を立てる。

 何しろ新八だって、所有を主張されて嬉しいと感じてしまうくらい、銀時には惚れているので…。この暖かい檻から抜け出すのは、相当無理難題なのだった。

「別に誕生日でなくたって、銀さんが欲しがってくれるのなら、なるだけ上げたいって、思ってるんですよ。でも…」

 神楽や姉だって、新八とは違った意味で銀時を好いている。誕生日に自分を上げるだなんてベタベタなプレゼントを考えない訳でもなかったが(何しろそれが一番喜ばれそうな事は容易に想像ついたので)、それを実行するには、その二人から、銀時を祝うチャンスを取り上げる事にもなりかねない。神楽の事も姉の事も最大限大事に想っている新八には、自分の満足の為だけに、銀時を取り上げる様な真似がどうしても出来なかった。

 言い淀み顔を俯けた所為で現れた黒髪の旋毛に、銀時は口付けながらそれに向かってぼそぼそと囁いた。

「わぁってるよ。もうお前は喋んな。黙って俺の抱き枕になっとけ。アレが使い物になんない所為で、銀さん余計に色んなとこがパーンってなりそうだから。もう本当、お前は吃驚するくらい俺のツボつくのが上手いねぇ。どうせならその言葉、明日復活してからもっかい言ってくれや」

「や、それは遠慮させて頂きます。万全の銀さんの相手するのは、僕にはまだちょっと荷が勝ち過ぎるんで」

 囁かれる声色に、ぞわぞわと背骨をくすぐられ、新八は思わず熱くなりそうな身体を必死に宥めようと態と悪態を吐いたが、それに返された銀時の反応が、こちらの予想とは違っていた。

「あ〜くそっ…どうしてお前は…!」

 本当に悔しそうな銀時の声色にどうした事かと顔を上げると、途端に口に噛みつかれた。酒臭い舌がひとしきり新八の口の中を蹂躙して出て行くと、忙しなく肩で息をしている新八を更に己の懐に深く抱き込み、銀時は喚いた。

「もう、何も言うな。苦情は明日聞くから! …まだとかそんなん、天然で言ってんなら、末恐ろしいわ、本当に…」

 何だか色々と疑問は残るものの、何やら切羽詰まった様子の銀時を刺激するのは得策ではないと、黙る事にした。

 言いつけ通りに新八が黙り込むと、銀時も変に入れた力を解き、深くゆっくりとした穏やかな呼気に変わる。

 ゆったりと動く胸の動きに、言い様の無い温みを感じ、こうやっているだけでも伝わってくる確かなものがあるのだと、その心地良さに身を任せた。

 

 

 とろとろと半分眠りの世界に足を突っ込みかけて居た頃に、ぼそりと呟きが振ってきた。

「精一杯祝ってくれたあいつらにゃ悪ぃけど、俺にとっちゃ、これが、一番の祝いだわ…」

 多分聞かせるつもりの無かったその呟きに、滲みそうになる涙をこらえながら、新八も心の中で応えた。

 姉上も神楽ちゃんも大事ですけど、でも…僕の一番も、銀さん、アンタですよ…。

 大切な家族よりも大切なものを見つけてしまった。それに一抹の寂しさを覚えながらも、自分はもうこの人を離せないのだ。

 この日に自分を一番に求めてくれる事に、涙が溢れそうになる程の嬉しさを覚える己の業の深さに、呆れる。しかし銀時はそんな自分が欲しいと言うのだから、業の深さはお互い様なのかもしれない。

 明日、どんなことを要求されるのかは、想像するだに頭痛の種だが、極力それに応えたいと思っている自分は相当の馬鹿だろうと、新八は無意識に微笑みながら、意識を微睡ませるのだった。

 

 

 

 

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