目の前に広がる青・蒼・碧…………

 

 今まで、青にこんなに違いが在るなんて思った事も無かった。

 

 え?花屋の息子のくせにそんな事も分からなかったのかって?いやあ、それ言われるときついなぁ。

 

 まあ、それだけ、見ている様で、何も見て無かったって事なんだろうな…

 

 そんな余裕すら無かったなんて、言いたかないけどさ、俺、本当、目に入って無かったんだなぁ。

 

 

 

ブルー・ピース

 

 

 

「あ〜悪ぃな、一歩。もう少し待っててくれや」

 傍らの俺のベットの上に、男なのにちょこんと言った表現が良く似合う座り方をして雑誌に目を通していた一歩が、座り込んだ床の上から顔も上げずに話掛けた俺の声に反応し、顔を上げるのが視界の端に映った。

「いえ、急がずに、木村さんのやりたいようにして下さい。気が散るようでしたら、僕、そこら辺一回りしてきますよ?」

 一歩の殊勝な言葉に、俺は逆に慌てる。気を使ってくれるのは有難いが、その使い方が根本的に間違っている。弾かれた様に一歩を振返る。

「待て待て待て、それじゃあ意味無いだろう?約束、忘れたのか?」

 ほら、覚えてるか言ってみ?そう促す俺に、一歩は途端にあ〜とか、う〜とか、言葉にならない呻き声を上げた後、顔を真っ赤にしながらぼそぼそと呟いた。

「今日一日は、ずっとどんな時でも木村さんと過ごす事と…」

「と?」

 一歩がそこで口籠ることは百も承知。こちらが可哀想になるくらい更に顔を真っ赤にしながら、それでも懸命に答えようとする姿が見たくて、ついつい尋ねてしまう。

「嫌がらない限り、木村さんがしたい事をしてもいい…です…」

「“誰”にだ?」

「ぼ…“僕に”っです」

 『何』をされると思ってんだろうな〜こいつ…あーあ、こんなに顔真っ赤にさせちゃってよ、恥ずかしさの余り目蓋なんかギュッて瞑っちゃってよ…そんな真似されたら、つい期待に応えたくなるだろ?

 座布団から立ち上がり近付くと、ボフボフと、一歩の奔放な髪の毛を混ぜ繰り返しながら額に掛かった前髪をたくし上げ露になった額にチュッと、音を立ててキスをしてやる。今はまだ、お子ちゃまキスで十分。俺もまだやる事があるしよ。

「偉い偉い。ちゃんと覚えてたな?良い子だから、そこで大人しく待っててくれよ?後、少しなんだよ」

 そう言って、俺は又、元の座布団の上に戻る。視界の端の一歩は、何やらワタワタと無意味に腕を動かして踊っていた。これぐらいの事でもいちいち照れるあいつに、最初の内はどうなる事やらと(それ以上に進めるのかどうかなどと)思っていたが、自分でも意外な程焦る事も無く、初心な後輩に合わせてやる事が出来て、俺はそんなにこいつが好きなのかと、再認識するまでに到っていた。

 

 目の前に広がる青・蒼・碧…………

 

 再び向き合った、あまりに見事な青の奔流に俺は感歎の溜息をもらして目を細める。

 そして又、一つずつ合わせて行く行為を続ける。

「…本当に後、少しなんですね」

 何時の間にか赤味も収まったのか、落ち着いた声色でそっと囁いた一歩に、俺は手を休める事無く応えた。

「ああ…これ、お前にしちゃ、随分上出来なプレゼントだぜ。俺の性格を良く把握してやがる」

「え?そうですか?だって、僕が木村さんの事を思うのは当たり前だと思うんですけど?でも気に入ってもらえたようで、良かったです」

 その一歩の口調は、前に俺が、お前船の操舵が出来るんだな。と感心して言った時に、何処か不思議そうに、しかし如何にも当たり前だと言った風に応えた様と良く似ていた。

 そうかよ、お前が俺の事考えるのは、お前に取ってそんなに当たり前の事なのかよ…

 顔が変な風に引きつるのを感じた。ああ、駄目だ。ニヤけるのが抑えられない。抑えられなくて当たり前だろう?そいつに心底惚れてて、そいつも俺にベタ惚れなんだぜ?自分がすっごい告白しているのに気付かないほどにさ…これが嬉しくなきゃ、嘘ってなもんさ。

「ほら、これが最後の一欠片だ」

 パチンと人差し指で押した欠片が綺麗にはまり込んだ。ニヤけた面を、完成した喜びに誤魔化して、盛大に笑った。うわ〜と、俺の隣にやって来た一歩が、歓声を上げる。

「大きいですね〜」

「何だお前、自分で俺にプレゼントしときながら、完成サイズ知らなかったのかよ?」

「あ、済みません…まさかこんなに大きくなるなんて思わなくて…一寸大きすぎましたね」

「ん?いや?これはこれでやり出があって、良かったぜ。後はこれを接着剤でコーティングして、額縁に入れるだけだな」

 はあ、完成させるだけじゃ駄目なんですね…と、プレゼント主らしからぬ発言をして、一歩は丸い瞳を眩かせた。

 一年前の今日、俺と一歩が初めて先輩後輩だけじゃ無い関係で向かえた、俺の誕生日。プレゼントされたのは、今こうして完成させた、青い海と青い空が何処までも広がる写真の、1万ピースのパズルだった。

 

「畳み一畳分はあるかね?んー今年のプレゼントは、これの額縁でいいぜ?」

 今年はプレゼントを一緒に買いに行こうと一歩から誘われていた。それはのらりくらりと俺がほしい物を言わずに躱し続けていたからだ。むしろ、俺が欲しかったモノは既に一歩から十分に与えられていたので、正直他に思い浮かばなかった所為もあったが。

 去年の今頃はお互いが、そんなやり取りを交わしている余裕すらなかった。

 思いが通じ合ったばかりで、一杯一杯だったのだ。だからこそ、一歩のこの誕生日プレゼントに、涙が出そうになる程嬉しかった記憶が在る。そんな情けない真似、死んでも堪えたが。

「ええー?そんな物で良いんですか?それは去年のプレゼントの内に入っちゃいますよ。他のにして下さい」

「馬鹿だなーお前。額縁って結構するんだぞ?万単位だ。このパズルだって、この大きさだから万はいっただろう?」

「…それは、まあ…。でも、こういうのって金額じゃ無くて気持の問題ですから、額縁は僕の中じゃプレゼントになりません。他のも考えておいて下さい」

 ああ、馬鹿だね、こいつ。俺がどんな思いで今日パズルを完成させたと思ってるんだよ。

 何でも凝り性の癖がある俺に、このパズルは随分ハマった。その膨大なピースの数もさる事ながら、絵柄が海と空の青一色と言うのも、随分とその性分に火を付けた。絵柄では、何処に何が来るかまったく予想出来なかったからだ。結局一つ一つピースの形で、ゆっくりと嵌めて行くしかない、難易度の高いパズルだった。

 プレゼントした本人はまさかそこまで厄介な代物だとは思わなかっただろう。だが、俺にとっては、一つ一つゆっくりと当て嵌めて行かなければいけない作業に、この一年間、どれだけ救われただろうか。

 

 無理に嵌めようとしても嵌らない。

 

 在るべき場所に、在るべき姿で。

 

 それが、一歩との関係を自然に進めて行く事と同意だと、作り始めてから直ぐ気が付いた。

 一歩との関係が最後まで行ったのだって、つい2ヶ月前程からだ。今まで付き合い始めてから直ぐにそう言った関係に陥っていた経験から行くと、それはかなり異例な事だったが、俺はまったく焦る事も焦れる事もなかった。

 恋人を大切に出来る。

 俺には、そんな当たり前の事が酷く難しかった事を初めて知った。

「一歩、プレゼントは気持の問題なんだろう?俺にとっちゃ今、額縁が最高のお祝なんだけどよ?お前は一緒に祝っちゃくれないのか?」

「木村さん…それ、ずるいです」

 一歩は頬を膨らませ、グチグチと拗ねてみせる。柔らかそうなほっぺたが、赤味を帯び膨れる様が何とも美味しそうで、思わずカプリと噛み付いていた。

「うわっわっっ!!」

「あんまり拗ねるなよ…美味しそうで…出かける前に喰っちまいたくなるだろ?」

 耳元で、低く囁いてやると、一歩は俺の腕の中でヒクリと強張った。耳どころか項まで赤く染まり、匂い立つようだった。

「…………嫌がらない限り、どんな事をしてもいい…………です………………」

 俺のポロシャツにギュっと縋り付いて、一歩はこの近さでもやっとの事で聞こえる小声で囁いた。

 ああ・頭ん中が、真っ白だ…今日は本当は町中を二人でぶらついて、適当にオシャレな場所で食事して、その後ホテルに連れ込んで…約束を楯に、名前で呼ばせてみるのも良いかもしれない。きっと酷く慌てるに違い無い………色々、色々と何日も前から考えていた筈なんだ…………

「“誰”が、“誰”に…………?」

「“木村”さんが…“僕”…に……………」

 

 お前、本当に俺の事良く分かってやがるよ…………

 

「大変良く出来ました。そんな一歩に、御褒美やらなきゃな…」

 保険で両親に、親孝行だと近場の温泉旅行プレゼントしといて本当に良かったぜ…。

 

 そうだよ、所詮俺は一歩に逆らえた試しが無いよ。

 

 何しろ俺はまだまだ其処の青達と、目の前の可愛い愛おしい恋人しか目に入ってないからさ。

 

 

 

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