欠けた大陽
「………なにやってんだ?」 いつものロードワークコースである川沿いの堤防を走っていた鷹村は、いつもなら考えられない光景に、しばし考え込み、思わず足を止めてその元凶に声を掛けていた。 その元凶はと言うと、堤防の斜面の整えられた草地の上に寝転び、リサイクル法やら、地方自治体やらが定めた法などが制定された今となっては、以外と珍しくなった黒のポリ袋を目に当て、何かを覗き込んでいるようだった。 確かこいつは30分も前に、此処にロードワークしに来たんだよな?今頃はジムに帰り着いているはずの奴が、何訳わかんねぇ事やってんだ?と、いたく好奇心をくすぐられ、鷹村はその頭に近付き仁王立ちになった。 「あっ鷹村さん。今日は部分日食が見られるんですよ」 「日食ゥ?それでお前こんな所で寝転んで、トレーニングさぼってやがるのかよ?ジジイに怒られっぞ」 「大丈夫です。会長には事前に許可を貰いましたから」 「ふん。そうかよ」 もし、鷹村が日食を見たいと(天体観測など欠片も興味のない鷹村にそんな事は有り得ないだろうが)言ったならば、鴨川はこの足下の存在に許可したように、鷹村にも暫しの休憩を与えるだろうか? …………即座にステッキを振り回し、額に青筋を浮かべた老人の顔が思い浮かび、鷹村はやれやれと苦笑を浮かべて夢中になってゴミ袋を覗いている人物の隣に横になった。 (ジジイもどうにもこいつにゃ甘いよな………自覚有りなんだか知らねぇけどよ) 「鷹村さん、直接太陽を見ちゃ駄目ですよ?これ、貸しましょうか?」 「ああん?見ねぇよ。俺様は休憩だ。休憩」 隣に寝転んだ行動をどう思ったのか、慌ててポリ袋を寄越そうとするのを目と口で押しとどめて、両腕を頭の下で組み、軽く目蓋を閉じる。目を瞑ると、遠くで車の駆け抜ける音や川のせせらぎが聞こえて来るだけで、まったくの見事な秋晴れとなった今日は、この場所を絶好の昼寝場所へと変えていた。 隣の穏やかな存在は、鷹村の休息を邪魔する物では無く、寧ろこの陽射しよりも暖かく心地よい雰囲気を醸し出していた。 鷹村の休憩を邪魔しない為か、それとも天で行われている神秘的な営みに夢中に成っているのか、以外と良く動く口は、静かなままだった。 「…………何がそんなに面白いってんだ?」 「う〜〜〜ん、面白いと言うよりは、不思議な感じですかね?普段ある絶対なはずの存在が形を変えるのって、それを見届けるまで、なんて言うか…………」 鷹村の急な発言に驚く事無く、ぽそぽそと話す様子に、小物臭せェ発想だな…と心の中で一人語ちる。 「お前は皆既日食に怯える古代人かっつの!!怖いんだろ?太陽が元に戻るか、見て無いと落ち着かねぇってか。お子ちゃまだな」 軽快に珍妙な例えで貶す鷹村に、貶された相手は怒る訳でも言い返す訳でも無く、ああ・そうか。と妙に納得したような声で暢気に、独り言なんだか問い掛けているんだか分からない呟きを零し始めた。 「怖い?のかな?考えた事なかったです。なんだか胸の部分がモゾモゾして、落ち着かない気持ちになるから、何時もこうして見てしまうんですけど、それは『これ』が珍しくて好きだからなんだって、思ってました………」 「さっきのお前の言い方聞いてると、好きっつーより、小動物宜しく怯えてる見たいだったぞ」 「そうですか?鷹村さんは凄いですね」 「俺様が凄いのは当たり前だが、今の会話で何が凄いってんだよ?」 「凄いですよ。だって僕よりも、僕の事解ってるみたいですもん」 別に何か含みを持たせた訳では無いだろう。だがその台詞に、鷹村は一瞬詰まった。 見当違いにも、鷹村さんクラスになると観察眼も人並み以上なんですね〜と何処か楽しそうに呟くその姿は、相手を赤面させた事実に気が付く事無く黒のポリ袋を覗き込み、空を見続けたままだった。 何時も話す時は、こちらを何処までも真直ぐ見続け、どんな時でも(鷹村が理不尽を働いている時ですら)底に尊敬と敬愛を含ませた黒目がちな瞳が、まったくこちらを見ない事に、鷹村は不可解な居心地の悪さを感じ始めていた。 先程会話を交わす事無く只空気を楽しんでいた状況よりも、会話をしているはずの今の方が、この場に鷹村独りが存在しているようだった。
こっちを向け。
こっちを見やがれってんだ。
俺様より、んな欠けた太陽の方が良いってか?
俺様を………俺を見ろよ、一歩!!!
「鷹村さん、太陽が還って来ましたよ」 ふわり。微笑んで、目からポリ袋を外した一歩が、何時の間にか上半身を起こしこちらを覗き込んでいた鷹村に、視線を向けた。 「…………そうか、そりゃ良かったな」 大きな手が、一歩の頭をグリグリと荒く撫で回した。特にからかう訳でも無い声色に、あれ?と思いながらも、一歩はその感触に心地良さ気に目を細めた。 「欠けた太陽も偶には良いですけど、お日様はやっぱり真ん丸の方が落ち着きますよね?」 「ああ、そうだな」 何時までも嬉しそうにニコニコと寝転びながら笑う一歩の襟首を、鷹村は髪をかき回していた手をそのまま伸ばし掴んで、猫の仔を持ち上げるように軽々と立たせた。 「ほれ、何時までも寝っ転がってっと、ジジイが杖振り回して追い掛けてくっぞ」 立たせたその背を手の平でパシンと叩き、鷹村はロードの続きを促した。 横目で、暫し痛そうに顔を顰めながらもピッタリと後ろに付いて来る小柄な頭を確認し、鷹村はホっと溜息を付く。 溜息を付いてから、らしくもなく鷹村は狼狽えた。 (こいつが珍しく俺様を見なかったからって変に思ったり、こいつが何時も通り俺様を見たからって溜息付いたり、何だってンだよ?一体?!) 関係ねぇー!関係なんぞあってたまるか!!と思いながらも、ダカダカ走る己の足音に混じって聞こえてくる、幾分軽めの足音に、身体の何処かが暖かく感じるのを無視する事は出来なかった。 これでは、先程の一歩の『普段ある絶対なはずの存在が形を変える』事柄を注視していなければ落ち着かないと言う気持ちを、笑う事など出来ないではないか………… 「鷹村さんっ?」 「なんだよ?」 少し息を切らした調子で、背後の一歩が急に話し掛けた来た。 「日食ってやっぱり、良い物ですねっ!!」 「何だよ?怖ぇーんじゃねえのかよっ?!」 「はいっ落ち着かない気持ちになりますけどっ、普段当然だと思っている事の有難さが解るって言うか、見つめ直す機会になるって言うか、上手く言え無いですけどっ………ぶ?!」 一歩は急に立ち止まった鷹村に付いて行けず、その大きな背中に思いっきり鼻面を打つけてしまった。 痛っ〜と涙目になりながら鼻の頭を押さえていると、ガツンと目の前に星が散った。思わず脳天を抱えてしゃがみ込む。 「たっ鷹村さん!!何するんですか〜〜〜」 ようやくそれだけを言い顔を上げると、其処にはこちらを振返る事無く捨て台詞を吐いて駆け出す鷹村の姿があった。 「お前が小物の癖に偉そうな口聞いてるから、天罰を与えてやったまでだ!!!」 と、訳の解らない事を言いながら走る姿に、一歩は珍しく闘志を燃え上がらせた。絶対にジムに着く前に追い付いてみせる!!
昼間の天体観測に絶好の、見事な秋晴れの元、何時もの堤防のロードワークコースに、何時もの二人。
何時もの、太陽。
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