ワンとニャンだふる

 

 

 Q:小早川瀬那君を動物に例えると何ですか?

 

「俺はセナ君は絶対に猫だと思うな」

「何でそうなるんだよ。セナは犬だ!!兄貴分の俺が言うんだから間違いない!!」

「フー…全くなっていないな君たちは。僕の為に美しく囀(さえずる)小鳥。セナ君は僕のカナリヤさ」

「む…………小早川は、兎だと思うのだが」

 

 喧々囂々。

 セナは、目の前で激しく交わされる論議に、まったく置いてけぼりにされていた。

 どうしてこんな事になったんだっけ?

 思わず遠い眼をしながら、街の一角にあるカフェの、通りに面した大きな窓際の席で、汗を掻いたオレンジジュースのコップを両手で持ち、今の自分とは別世界になってしまった休日の穏やかな喧噪を眺めていた。

 僕はただ、街の大きな書店に、本を買いに出かけただけなんだけどな〜。

 

「誰が、誰の、何だって?セナ君はお前の弟じゃないし、ましてや誰かだけのもんでもねぇ!!!」

「と言うよりも、セナの事を猫だ小鳥だ兎だなんて寝ぼけた事言ってる奴らにとやかく言われたくないね」

「ああ、君達とは音楽性が合わないみたいだね。君達にはセナ君のさえずりが聞こえないのかい?」

「兎の、何処がいけないと言うのだ?」

 

 のっぽやら紅白の頭やらやけに筋骨隆々な身体の持ち主やら、只でさえ黙っていても目立つ集団の集まりが、それぞれ大声で、訳の分からない主張をしているのだ。セナたちの座った席は、瀟酒な店内の中で異様に浮いていた。

 さっきから、好奇心と言うよりは、恐る恐ると言った視線がビシバシ刺さるのに、セナは逃げ出したくて堪らない気分を持て余していた。けれどもあれよあれよと言う間に窓側の奥まった座席に追いやられてしまい、それも今ではかなわぬ事だ。まさかそれを見越してセナをその席に追いやったのだとは思いたくなかったが、現在の状態を顧みて、その可能性が全く無いとは言い切れない所が苦しい。

 黙っていれば見応え抜群の男性集団に、店内に入った瞬間、店の奥で可愛い制服に身を包んだウエイトレスさん達が、こぞって誰がオーダーを取りに行くかじゃん拳する様を偶然目撃してしまったセナは、その対象となった筈の男どもそれぞれが、熱弁により早々に空にしてしまった器に、追加オーダーを誰が取りに行くか、メニューを押し付け合う姿も目撃してしまう。

 うん、その気持ち、よく分かる。近づき難いよね…

 はは…と乾いた笑いを洩らしながら、しかしそれでは困るのだとセナは思った。はっきり言って居心地の悪いこの空間を、少しでも気を紛らわせようとチビチビ飲み続けたオレンジジュースは既に空に近い。これが無くなってしまえば、まだまだ収まる気配を見せない会話に、ただ只管耐え続けなければならなくなる。

 それはどうしても避けたい。

 どうしよう…ぼけっとそんな事を考えていたセナは、「セナは俺の弟分だから」と言う理由で無理矢理隣りの席をもぎ取った白い髪の持ち主が「そうだ!」と実にいい考えを思いついたとでも言うかの様に上げた声に、とっさに反応出来なかった。

 

「せっかくこの場にセナがいるんだから、セナ自身に決めてもらえば良いじゃないか」

「そうだな。これ以上話していたって、お前たちは自分の主張を曲げねぇだろ?」

「フー…、音楽性の合わない人間とこれ以上語り合っても得るものは何も無いしな」

「………どう判断する、小早川」

 

 どう…と言われても…はっきり言ってセナには、自分がどの動物に例えられるかなんてどうでもいい。おまけに幾ら身体が小柄だからといって、例に挙げられている動物が愛玩用の小動物系ばかりなのにもいささか納得がいかないし、動物に例えなければならない意味もまるっきし無いように思われる。

 しかしここで適当に返事をしてみた所で、この騒ぎが収まるとも思えない。むしろ、各人の意気込みを顧みるに、更に悪化しそうな勢いだ。

 どう判断するって…どうしようか?

 半分意識を飛ばしていたセナは、急に話の矛先を向けられ、冷や汗を掻いた。

 ギラン、と集まった視線が痛い。店内の恐れの混じった他人の視線よりも確実に痛い。

 神様仏様、この際悪魔でもいいので、誰か助けて〜〜〜!

 

「こ・の・糞チビ〜〜〜!!!俺を待たせるとはいい度胸じゃねえか」

 

 おどろおどろしい声色と供に、セナの身体は急に上に引っ張られる。おぶおぶと、パーカーの襟刳りに首を絞められかけ、慌てて手で押さえる。まるで猫の仔の首根っこを摘んで宙にぶら下げる様に持ち上げられ、セナは背後からの聞き覚えのある声に、ヒヤリとした。

 あわわわわ…本当に悪魔が来ちゃった!悪魔が来ちゃったよ!!!

 

「ヒ・ヒル魔さん…!!く、苦しいっ………!!!」

「時間になっても何時まで経っても待ち合わせ場所に来ねーから、有難くも迎えに来てやったぜ」

 

 ヒル魔のその言葉に、あ、そう言えばと、街に出て来たもう一つの用事を思い出した。

 今日は部活が丸一日休養日で、普段選手としてのアイシールドの練習が忙しすぎて、主務の仕事がまともにこなせないセナは、ヒル魔に呼び出されていたのだ。曰く、近くの小さなスポーツ用品店では手に入らない器具を、街の大きなスポーツ用品店に揃えに行くぞ、と。

 元は主務に憧れてアメフト部に入ったセナに、否やは無く、街に出るのならせっかくだから、以前より欲しいと考えていた本をついでに手に入れてから…と思い少し早めに家から出たのだが、あれよあれよと顔見知りに出会い、何故かこんな得体の知れない状況に陥っていたのだ。

 店内の時計に素早く眼を走らせると、なるほど、ヒル魔が指定した待ち合わせ時刻から、丁度15分過ぎていた。

 どうやってここを見つけたのかとか、すれ違いになる可能性は考えなかったのかとか、携帯電話に連絡くれればよかったのに、と言う思いがセナの脳裏には掠めたが、この際細かい事はどうでもいい。この場から離脱する事が出来るのであらば悪魔に犬の様に尻尾も振る。

 今だ宙に吊り下げられながらセナは必死に言い募った。

 

「ごめんなさい、ヒル魔さん。それじゃこの場は失礼して、行きましょうか!ささ、ヒル魔さん、行きましょー。今すぐ出て行きましょー」

「おう、さっさと行くぞ」

 

 まるで小鳥の様にさえずるセナの様子を歯牙にもかけず、ひょいっと、重さを感じさせずにヒル魔はセナの身体を椅子の背もたれを越して、自分の方へと引き寄せる。

 宙に吊り下げられておらず、地に足がついていたならば、今すぐ回れ右して脱兎の如く逃げ出さんばかりのセナは黙ってされるがままだ。

 しかしここに集まった面々は、後からいきなり現れて宝物を攫って行くヒル魔を、簡単に逃すような性格は持ち合わせていなかった。

 

「待ってくれ、セナ君。せめて答えだけでも聞かせてくれ」

「勿論犬だよな?な?な?」

「君の音楽性を信じているよ、セナ君」

「小早川………兎…………」

「うひぃぃいぃいいぃ……」

 

 この人達、全っ然諦めてくれない…セナは焦燥に目の前が暗くなる思いだ。

 どう答えれば…もうこの際適当でもいいか。僕はどうでもいいんだし。でもこの人たちなんでだか、本当に真剣だし、適当に答えてもいいものかどうか………本当にどうしよう〜〜〜〜!!!

 

「ん」

「え???」

 

 一人冷や汗を掻きぐるぐるしているセナの前に、急にコップが突き出された。

 よく見るとそれは、セナが先程チビチビ飲んでいたオレンジジュースのグラスで、中身はほぼ飲み尽くされており、溶け欠けの氷が底には三つ残されていた。

 

「お前、いっつもドリンク飲み終わった後に残った氷喰ってただろ。それ喰ってさっさとこんな所出るぞ」

「え?は、はぁ?」

 

 それを突き出しているのはヒル魔だった。まったく、恐ろしいまでのマイペースだ。この状況が見えていないのだろうか。セナに詰め寄る4人の男共の存在をまるで無視して我が道を行く。

 けれどもセナは、頭を冷やすのには良いかもしれない、と素直にそのコップを受け取る。

 

 かぷり。

 

 まず最初に、氷二つを口の中に含み、両頬に追いやる。そして最後の一個を、舌の上に遊ばせた。

 

 かりこりこり…

 

 んん〜気持ちいい。僕、実は、ジュースよりも最後に残った氷の方が好きなんだよね〜。

 ちょっぴり貧乏臭い事を思いながら、セナは満足げに両目を細め、思わず目の前の問題も忘れ、氷の感触を楽しみ出した。もしかしたら、無意識的に行なった現実逃避かもしれない。

 ニコニコ顔になったセナを、ヒル魔は小脇にぶら下げる形に抱え直し、セナのその表情に釘付けになっている男達にボソリと呟いた。

 

「こいつはハムスターだ」

 

 からんころん。

 ありがとーございましたー………

 カフェのドアベルが涼やかな音を響かせても、ウエイトレスの気の抜けた挨拶が聞こえても、セナのぷっくりと膨れた頬が眼に焼き付いて離れない男達は、後を追う事も、その場を動く事も、暫く出来なかった。

 

 

 

 

 後日、この日の出来事を、それぞれが、それぞれの学校の部活動の時間に話題にし、『Q:小早川瀬那君を動物に例えると何ですか?』問題が大勃発する事を、セナはまだ知らない。

 

 

 

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