目薬・1

 

 

「ん…」

 俺の目の前で何やらもそもそやっていた糞チビが、小さく呻いた。

 俺はいつもと変わらず部室のルーレット台の上に足を置き、その膝の上に置いたノートパソコンを弄っていた。

 糞チビは、そんな俺から2・3席離れた椅子に座り、自分のスポーツバックから取り出したポーチ(ポーチなんて代物、使うのは女だけかと思っていたが、さしずめ糞マネの教えなんだろう、こいつは何時も必ず自分の持ち物の中の何所かにそのポーチを忍ばせているのを俺は知っていた)から小さなプラスチックの容器を取り出して、何やら一人奮闘しているようだった。

 15分ほどもがいていただろうか、それでも糞チビは目的の行動を果たせないでいた。俺はそんな糞チビの行動を歯牙にもかけていない態度でPCを弄っているフリをしていたが、膝の上の液晶画面の向こう側にチラチラ見えるとんでもない髪型の持ち主の行動が気になって仕方が無かった。

「んん〜…」

 また、小さく糞チビが唸る。俺が意識をそらそうとすると、まるで存在を忘れるなとでも言うかのように何かしら行動を起こすので、完全に視界からシャットアウトする事も出来やしない。

「あぁ…」

 吐息のように小さく声を漏らす。その意識しない声色に俺はとうとう堪え切れずにWAIOを待機画面にすると、カジノ台の上に追いやった。

「何ちんたらやってんだ」

 ビ・ビクゥ!と言った擬音そのままの態度で、小さな体躯は跳ね上がった。恐らく今の今迄、俺の存在すら忘れ、その行為に集中していたのだろう。泥門の悪魔と恐れられる俺の存在を一時とは言え忘れられるこいつの脳味噌は、ある意味大物と言っていいのか、それとも底抜けの粗忽者と言っていいのか…妙にギクシャクした動きでこちらに顔を向ける。

「ヒ・ヒル魔さん…」

 そう言ったっきり、糞チビは何と言ったらいいのか分からないといった表情で口籠る。自分でも自分のどう仕様も無い不器用さを認識しており、情けなさ一杯だと、その表情は語っていた。そして、普段の俺の行動を思い起こしたのか、もたもたした事が嫌いで、それに対して何くれと無く銃撃を繰り出すのを恐れたのか、ビキンとその身体は固まった。それ以前に俺は、その情けない表情を更に彩るように顔面に散った水滴に、言おうと思っていた台詞も忘れ深く深く溜息を吐いた。

「やってやる。こっちに来い」

「え?」

 とたんに、情けない面はキョトンと瞬いた。それきり動こうとはしない糞チビに苛立った俺は、何処からとも無く拳銃を取り出しガチャリと安全装置を外した。

「そんなに俺に撃たれたいか。いいからさっさとしろ!」

「ひ!ひぃいいぃ!!!ははは、はいぃ!!!」

 銃口を向けられた糞チビは先ほど迄ののろのろとした動きからは想像出来ないほど素早く俺の隣まで来た。

 最初っからその素早さを行動に表してろってんだ…そう心の中で毒吐きながら俺は拳銃を懐にしまい、その手を糞チビの前に突き出す。

 さすがの糞チビも、俺のそんな行動に既に疑問を浮かべる事も無く、おずおずと、握りしめていた小さな容器を差し出した。

 淡いピンク色の液体を中に納めたその容器。俺はそれを右手に口でそのキャップを取る。それは俺がいつもこれを使う時の癖だったので、何も考えずに行動に移してしまったがキャップには確実に歯形が付く。糞チビはそんな俺には何も言わなかった。

 目の前で、容器を片手に椅子に座ったままの俺にどうすればいいのか戸惑った糞チビは、それを差し出した時と同じ様におずおずと俺の目の前の床の上に膝立ちになって座った。どうやら自分も椅子に座ったら、俺が遣り難かろうと思ったらしい。よけいな所で気が回るらしい糞チビの行動に内心苦笑しながら俺は幼い線を画く頬に左手をそっと触れさせた。

 

「…………おい」

 

 糞チビは、ギュッと両目を固く瞑っていた。それで俺にどうしろと…

 未だに俺はキャップを口に銜えたままで、しゃべり難い事この上なかったが、それでも話せない事は無い。現状に於ける実にお間抜けな糞チビの行動を指摘してやろうかと声を出しかけ、ふと、プルプルと細かく震えるぐらいに力を込めて目蓋を固く閉じる糞チビの円やかな顔を見て、思う。

 糞邪魔なキャップなど今すぐ吐き捨てて、固く閉じられた目蓋とは反対に薄く開いた唇に、口付けてやろうか。

 

 そんな俺の内心の葛藤を全くもって知らない糞チビは、その後さんざん俺の手を煩わせて、その大きい筈の瞳両方に目薬を注し終えたのは、それから更に15分経った後だった。

 

 

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