プロポーズ・セナ編

 

 

 

 ああ、もしお前が俺より先に死んだら、その身体を骨の髄まで喰らってやるよ。

 

 

 髪の毛一筋たりともこの世の何処にも残してやらねぇ。

 

 

 で、喰い終わったら、俺も死ぬ。

 

 

 

 

 何でもない日常を話すかのように、その人はするりとそんな事を言った。

 そもそもセナがした質問は、『死後の世界って在ると思いますか?』だった。

 セナがそんな幼い子供がするような拙い質問をした原因だって、ごく簡単な理由からだ。ヒル魔邸で二人で見た、何年か前に話題になった、宗教をからめた大衆向けのアクション映画を見たからだった。その世界では、死後の世界…天国と地獄は特別な場所に在るのではなく、現世のすぐ隣に存在しているものだった。

 セナは、昔から不意に、死について考えることが多い子供だった。しかしそれは大抵の子供が取り留めもなく、無邪気に、しかし何処か残酷に、考えることだった。大人になるにつれ周りの目まぐるしい環境に、そのような漠然とした掴み所の無い思考に時間を割いている余裕も無くなり、その時間は減っていくが、それでもセナは死について考えるのを止めることはなかった。

 その延長でセナに取ってはごく気軽に、己には馴染みとなった先の質問をしたのだ。ソファーを背もたれにし、フローリングの床の上に直接胡座を掻き、映画を見ている最中からずっとその上にセナを座らせ、背後からがっちりと細い腰に腕を回し指を組んで離さないその人から返ってきたのは、些か物騒な、何処か問題点とはずれた回答。

 セナは小首を傾げ、自ら望んでセナの座椅子になっているヒル魔に更に質問をした。

「全部ですか?骨も、歯も、爪も、髪の毛も、全部?」

「ああ、全部だ。俺の手で砕けそうな骨も、唇から覗く白く小せー歯も、男の癖に桜の花びら見てーに整った爪も、どんなに直したって跳ねる頑固な髪の毛も、全部」

 セナが放った言葉は総て、倍以上の修飾語が付いて返って来てしまった。

 ヒル魔は何時も、セナの問いには簡単に答えを与えてはくれない。セナには考えも付かない遥かな先の事を見通して、回りくどく、慎重に言葉を与えて行く。本人がとてつもなく素直ではない、一癖も二癖もある性格が由来している部分もあるが、それでも、すぐに安直な答えを与えないのは、総てセナの為を思っての行動だ。

 セナは、始めはヒル魔のそんな態度に戸惑い、全く理解出来なかったが、徐々に一緒に過ごす時間が増えるにつれ、その思惑に触れ、理解する様になった。

 真っ直ぐな答えを教えて貰えないならば、自分で探り出して行けば良いのだと。

 ヒル魔は、セナにも判りやすい確りとした答えを与えてはくれない代わりに、必ず、どんな小さな疑問にも、返事を返してくれる。

 一度でヒル魔の言っている言葉の意味が解らなければ、セナは二度三度、自分が疑問に思った事全てをヒル魔に問いかける様になっていた。

 時としてそれが災いして、当初考えていた着地点とは遠く離れた場所に着陸してしまう事もあったが、それも、本質的な自分をあまり露にしないヒル魔を知るには、一役買っていた。

 そうして、セナとヒル魔の一問一答は、今日も繰り返される事になる。

 

「あの、いくら僕が小柄だからって、自分と大して容積に差が無いものを食べ切るのは、相当大変だと思うんですけれども、それでもですか?」

「そうだな。喰ってる途中で腐りそうだよな。それでもだ。腐肉の塊になっても、その汁すら啜ってやる」

「それに僕、多分よぼよぼのお爺さんになるまで死ぬつもり無いんですけど、その時はヒル魔さんもお年を召されてますよね?今よりも体力も無くなってて、更に大変だと思うんですけど、それでも?」

「俺がよれよれの糞ジジーになってようが、やると言った事を諦めると思うか?お前がすっかり枯れて筋張って固くなっても、俺が総入れ歯になってても、それでもだ」

「………ヒル魔さんのそういれば………想像出来ないや」

 セナは思わず質問を忘れ笑ってしまう。けれども、どうしても、聞きたい事はまだあった。

 常識から考えて、狂気と言われても仕方が無いヒル魔の言葉の数々に、それでも、セナは嫌悪感や恐怖感を抱くことは出来なかった。それどころか、あともう少しで、何かが掴めそうで、それがするりと逃げてしまう感覚に、ヒル魔の言葉をもっともっと引き出したいとすら思ってしまう。

「ヒル魔さん」

 セナは大きく息を飲んだ。これから言う言葉は、ちょっとあからさま過ぎて、ヒル魔は答えてはくれないかもしれない。それでも、他愛無く始めた筈のこの話が、話している最中に敏感に、底に何か潜んでいる事実を嗅ぎ取ったセナは、着地点を見誤りたくはなかった。そうなると後は、直接表現に頼るほか無い。

「どうしてですか?」

「…………………。

 ……………。

 ……。

 てめえの身体を、死んだからって、他の奴らに勝手にされて溜まるかってんだよ……………」

 ああ…

 セナは、吐息にすらならない溜息を心の中で吐いた。

 なんて、なんて熱烈な。

 その言葉を言ったヒル魔の声は、普段の溌剌さを感じさせない小さな呟きだったが、セナの耳には、まるで全身で叫んでいるかの様に届いた。

 熱に浮かされた様に回らなくなった思考で、それでもセナは質問を続けた。

「それで、僕を食べ終えたヒル魔さんの身体は、どうするんですか?僕だって、ヒル魔さんの身体を他の人に勝手にはして欲しくない」

「そうだな。そんときゃ俺は立派な死体損壊容疑で見事犯罪者だ。死ぬときは、誰の眼にも触れられねえ場所にでも逃げ込んで、後は朽ちるに任せる」

「ヒル魔さんが、逃げるんですか?それも想像がつかないなぁ」

「てめえを喰らった俺の身体を、糞有象無象に触れさせたかーねえんだよ」

 ヒル魔は、今度は先程とは違い、はっきりとした声で、珍しく、セナにも判りやすい随分直接的な言葉で答えを返した。

 セナは再びくらりとした。

 なんだろう。幸せ過ぎて、どうにかなってしまいそうだ。

 セナはぐったりと、ヒル魔の身体に寄りかかり、目眩のする瞳を目蓋の裏に仕舞い込む。

 そのまま、暫く沈黙が部屋を包んだが、それは嫌な静寂ではなかった。

 

「………もし、俺がお前より先に死ぬ事があれば」

 ボツリ、急にセナの耳元で落とされたヒル魔の声は、やはり、何でもない日常を話すかのような響きを纏ってはいた。

 それでもセナは、あれ?と、その声に微量に含まれた日常との差異に気が付いた。振り向いて、ヒル魔の表情を見ようとして、後頭部に押し付けるようなキスをされ、その動きを封じられてしまう。

「ヒル魔さん」

 セナは振り向きたい思いを、声に乗せて身体の自由を奪っている人に訴えた。しかしヒル魔はセナの言葉に表さなかった願いを感じ取っても、拘束を緩めはしなかった。

「そん時ぁ、仕方ねえから、てめえの好きなようにしろ。俺みたいに後を追えなんて遺言も残さねーから、安心して自由を謳歌しろ。お前が、自由を満喫出来るのは、俺が死んだ後だけってことだな。俺の独占欲は半端無ぇが、そこまで、強欲に出来ちゃいねえ………

 …………俺は、死後の世界なんざ、これっぽっちも信じちゃいねえからな」

 いま、全ての答えがが一つに繋がった。

 セナが戯れに仕掛けた、『死後の世界って在ると思いますか?』は、漸く着地点を見出した。

 ああ、ヒル魔さん。けれども、それで終わりにはしないで下さい。

 あなたは時々、僕には想像出来ない孤独に苛まれる。僕も、独りの時間が長くは在ったけれど、それもあなたの完全な孤独とは違った。

 ヒル魔さん、あなたは今、どう仕様も無い独りの影に、呑み込まれていますね。あなたの腕の中に今、僕は居るけれど、あのたの心の中は今、きっと空っぽなんでしょうね。

 でも、どう仕様も無い孤独に、負けないで下さい。独りの心に、諦めてしまわないで下さい。

 あなたは独りじゃない。独りになんて、僕が、してあげない。

 ヒル魔さん、自由って何ですか?ヒル魔さんの中の僕は、未だに初めて話した時の、ぐるぐる巻きの簀巻きにされた僕のままなんでしょうね。そんなもの、とっくに存在していないのに。

 僕は、ヒル魔さんの手の中で、自由なんです。あなたの手で、自由になるんです。

 ヒル魔さんがいなければ、僕は僕じゃなくなるんです。

 今はまだ、僕の力が足りなくて、その事を伝え切れないけれど、一生かけてでも、僕がどれだけヒル魔さんを必要としているか、教えよう。未だ、一方通行の気持ちのつもりでいる、孤高のこの人に。

 孤独に、あなたを渡したりなんかしない。

 僕だって、あなたに負けないくらい、独占欲が強いんだから。

 

「ヒル魔さん。手、離してください」

「…………嫌だね」

「ヒル魔さん。僕だって、あなたを抱きしめたいんです」

 ヒル魔さんばかりずるい。セナは小さく呟いた。するとヒル魔は、暫し考えるような間の後、セナが身じろぎ出来る程度に、腕の力を緩めた。セナはすかさず振り返るとヒル魔の足を跨いで膝立ちになり、金色の髪を逆立てた頭を、細い両腕の中に閉じ込めた。

「こんな事は、自然には無茶な事かもしれないけれど、ヒル魔さんの命の灯火が消えてしまう時、僕の命も消えてしまえたらって思います。あなたのいない世界で、僕は、息なんて出来ない。自由なんて無い。きっと苦しいばかりです。それに、ヒル魔さんより先に死んでしまうのも嫌です。あなたにそんな思いさせたくないし、やっぱり、僕を食べ切ってしまうのは、大変な事だと思うから。死ぬ時は、一緒に、手をつないで、穏やかに、眠る様に死ねたら、いいですね」

 ヒル魔の天に突き立てた金色の髪を吐息で揺らしながら、セナは一気に捲し立てた。もっと、言いたい事は心の中にたくさん渦巻いていたが、セナの貧困な語彙では、それらを正確に伝えるのは無理だった。出来るだけ、今の自分の気持ちに忠実に、相手にも伝わる様に、と口にした言葉は、どれも簡素なものになってしまった。

 セナの腕の中で、くつくつと、頭が揺れ出した。かと思うと、緩んでいたヒル魔の腕が、セナの胴体をぎゅうぎゅうに抱き締め潰してきた。

「けけけっ!何だそりゃ、最高に最高な死に際だな、おい。確かに一緒に死んじまったら、何の心残りもねえな!よし、人生の最終目標を、今日からそれに定めてやるよ。覚悟しとけよ、糞チビ!!」

「覚悟するのは、ヒル魔さんの方です!」

 ヒル魔とセナは、互いに抱き締め合いながら、大笑いした。

 

 願わくば、人生の火が消える瞬間、死ぬ時まで独りでいられなかった、と思わせるような人生を、共に作り上げて行きたい。

 なんて殺伐とした、なんて奇抜な、なんて………

 

 なんて幸せな、プロポーズ

 

 

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