他人から見た関係性・2

 

 

「おーセナ、今日は遅かった…な?!」

 バナナを片手に雷門は、昼休みに何時もの時間より遅れて、自分のクラスで昼食を食べる時に座る席に現れた親友の左頬を見て、驚いた。

 ボトリ。雷門の右手からはバナナが落下した。

 幼い線を残したその頬は、赤く染まり、腫れてはいなかったが、それでも痛々しい色合いになっていた。

「セナ、お前、それ、ほっぺた、コレか?」

 雷門は、自分の人より大きめな手の平を振り上げ、顔の前で横切らせて見せた。

「あ〜うん。それかな」

 その仕草を見た片頬を赤く染めた人物は、苦笑とともに、頷いた。痛そうな頬の色とは対照的に、その仕草は軽く、余り痛そうでは無かった。それでも、雷門は、痛くない訳は無いと、セナの頬を見つめ、思った。

「それ、明日になったら、酷く腫れるぞ。取り敢えず、腫れさせたくないなら、なるべく出来る限り冷やし続けるんだな」

「詳しいね、モン太。それに、こっちじゃないって、よく分ったね」

 セナはふんふんと雷門の話を頷きながら聞き、そして握り拳を作って見せた。

 雷門はそんなセナに、鼻息をフンと吐いて、訴えた。

「そりゃあ分るさ。左頬、引っ掻き傷が二本、血ィ滲んできてる。俺の予備の絆創膏やるから、貼っとけよ。俺の母ちゃんさー、叱るとき、本気で張り手なんだよ。普通息子に張り手飛ばすか?!頭に拳固じゃねぇ?ま、そんでも親父よりかはマシな扱いなんだけどな。夫婦喧嘩ん時なんて、顔面に容赦なく拳入れてるし。兎に角、引っ掻き傷が出来るくらいおもいっきしビンタってのは、かなり力入れないとそんな風にはなんねーんだよ。口ん中、切れてねーか?」

「あ、そっか。ちょっと痛いなーとは思ったけど、これって、口の中が切れてるんだ」

 凄いお母さんだね。セナは舌で口の中を探りながら言ったのか、少し痛そうな顔付きになった。

 雷門は、叩かれたのに、その事を余り気にしていない風に見えるセナに対し、余り過剰に心配して見せるのは得策ではないと判っていたが、それでも何かと虐められやすい人生を送って来たらしい親友に、心を砕くのを止められなかった。

 セナだって、一端の男なのだから、過剰な心配は自尊心を傷付けるだろう。本人が平気そうにしているのだから、余り根掘り葉掘りはしたくないのだが…。

「で、それ理由、聞いてもいいか?それ見たら、まもりさんだってきっと凄い事になるだろうし…」

 それよりも恐ろしいのは、アメフト部の大魔神が、あの恐怖の黒手帳を大活躍させる事になるだろう未来だが…。雷門はそっと心の中で付け足した。

「あ〜やっぱり、転んだとか、そういう風には見えないかな?まもり姉ちゃんか…ははは…それは、大変そうだよね………」

「なんだ、セナ、お前まもりさんには叩かれた事ばれたくないのか?」

「まもり姉ちゃんっていうか、姉ちゃんもそうなんだけど、主にヒル魔さんかな?」

 雷門はセナの意外な言葉に驚いた。とうとう、自分に向けられる好意にとことん鈍い親友が、あの人の思いに気が付いたのか?!と思ったのだ。それで動揺を隠せなかった雷門は些か吃りながら、セナにその理由を尋ねた。

「ま、まもりさんは判っけど、どうして、ヒルッヒル魔先輩なんだ?」

「ん〜〜〜…本当は、こう言う事、当事者以外に話しちゃ駄目なんだろうけれど、モン太には、この怪我の言い訳も一緒に考えてもらいたいし、モン太はこう言う事、吹聴する人じゃないしね…」

 そう言って、セナは、先程あった出来事を、セナが感じ取った感想を交えながら雷門に説明した。

 最初、雷門は女子とは言え、多勢に無勢でセナが呼び出された事に険しい顔付になったが、セナの感想を交えた話を聞いて行くうちに、開いた口が塞がらない状態になった。

 他人が他人に向ける好意には普段から考え付かないほど敏感な癖に、なんであの人の秋波には気が付かないんだ…!!

 雷門の口を塞がらなくしたのは、この一文に尽きた。

 雷門の目から見て、ヒル魔は確実に、セナの事を特別扱いしていた。それは、贔屓とかそう言う事ではなく、セナに向ける柔らかい視線だとか、ちょっとした行動だとか、穏やかに凪いだ声色だとか、深くヒル魔に関わっている人物でなければ見抜けないような、ほんの僅かな差だったが、それが見抜けない程、雷門の目も鈍感ではなかった。勿論、アメフトに関しては妥協を許さない、その点に関しては存分に尊敬出来る先輩だったので、それが練習に響くなんて事は更々なかったが、それでも、レシーバーとしてヒル魔の行動の癖を少しでも拾おうと、無意識のうちに逐一観察していた雷門は、気が付いてしまったのだ。

 蛭魔妖一は小早川瀬那に特別な感情を抱いている。

 気が付いてしまった時は、それはそれは狼狽えもしてしまったが、幾つかの夜を考え過ごし、雷門は再び気が付いた。

 ヒル魔は、セナには悟られない様に、己の思いを周囲にばらしてる。牽制していたのだ。それも、セナの近くにいる人物だけに特定して巧みにその事実を情報操作して、ばらまいていた。

 実に、無駄の無い…。

 別に、雷門がヒル魔の気持ちに気が付いたとして、その人には何の問題も無いのだと判った瞬間、雷門の動揺はスッと収まってしまった。

 そりゃあ、そーさなー。ヒル魔先輩が、俺にバレるようなそんなヘマ、かます訳ゃなかったよ。

 それ以来、雷門の興味は、当人では無い自分すら気が付いたと言うのに、その思いを向けられているセナが、どうしてそれに気が付けないのかに絞られたが、それもこの親友と付き合って行くうちに、徐々に見えてくるものがあった。

 セナは、恐ろしい程自分と言うものに対して自信が無い。強いライバルと対峙して、それに挑み打ち勝って来ていると言うのに、未だに、セナの中での己のイメージは、苛められっ子の不良のパシリのままらしかった。長年の刷り込みとは、斯様に強力なものなのかと、雷門はセナの今までに一抹の悔しさを覚えた。

 そんな自分が、誰かからそう言う意味での好意を寄せられる事があるとは、はなから想像付かないらしい。

 そうして、世にも奇妙な鈍感ぶりが形成されているのだ。

 けれども、ヒル魔の牽制と、セナの鈍感さが、このような事態を引き起こす事になるとは。

 雷門は改めて、これからを思い、頭を痛めた。

 セナは、当人以外の誰かから、こういった好意がばれるのは非常に好ましくないと、雷門に、張られた頬の言い訳を一緒に考えてくれる様に必死に頼んでいる。

 危害を加えられたのに、その相手にまで気を使うお人好しぶりは、雷門も大変好ましく思うが、そのセナの優しさが、更に雷門を窮地に追いやっているのを、この親友は知らない。

「ね、モン太、余所見していて、消化器に打つかったとか、どうだろう?あれなら丁度、目線の位置に設置してあるし、モン太との話に夢中になってたからって、言えば、不自然じゃないよね?」

 無理だ、セナ。雷門はいっその事どれだけ親友にそう言ってやりたかった事か…。

 きっと、恐らく、その場はセナがそう言い切れば、それで収まるだろう。

 しかし、その後、ヒル魔と、おまけにまもりにまで問いつめられる事になるのは、確実に自分だ。その言葉が事実であるか、徹底的に問いつめられる事になる。そこでもし、雷門が事実をばらさなくても、お次ぎはヒル魔お得意の脅迫手帳が暗躍する事になる。その手帳に、罪の無い幾人かが、確実に犠牲になる事になる。その惨劇が目に見えている雷門は、被害が広がる前にと、セナから伝えられた事実をばらしてしまうだろう。

 しかしそれは同時に、雷門に取っては、親友の信頼を裏切る行為となる。その煩悶に、雷門はこれから頭を悩ませる事となるのだ。

 想像する必要すら無く、容易く目蓋の裏にその光景が思い浮かび、雷門は乾いた笑いを零すしか無かった。

 

 

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