他人から見た関係性・3

 

 

 ああ、丁度良いわね。

 まもりは身の内から沸々と沸き上がってくる感情を押し殺すのに、苦労していた。

 まもりの目には、廊下の端に、階段に続く角を曲がろうとしている女生徒の姿が三人、映し出されていた。

 これから、まもりはあの三人と、一戦交えなければいけないのだ。感情的になってしまえば、それだけこちらの言い分に付け入る隙を与えてしまう。心の中は、今すぐ罵倒してやりたい気持ちに駆られながらも、まもりは駆け出してしまいたい己の身体を禁め、歩く速度を速めながら階段へ続く角を曲がった。

 階下の踊り場には、今にもその姿を手すりの影の下に隠さんばかりの、女生徒達の姿がちらりと見えた。

 まもりは、すっと空気を胸内に導き入れると、鳩尾に力を込めた。

「あなたたち、ちょっといいかしら?」

 頭上から掛けられた声に、女生徒達は弾かれた様に振り仰ぐ。一瞬、呆然とした、知らない人物を見る時のような訝し気な表情を見せた後、その中の一人は、すぐさま何かを察した様に、まもりの声に答えた。

「姉崎さん…よね。私達、面識は無かった筈だけれど、何か用でもあるの?」

「あら、言われなくても判っていると思ったんだけれど。何から何まで、私の口から言って欲しいの?」

 まもりは態と相手を挑発するような態度を取った。恍けられてしまうと、こちらからは確かな証拠も無い為、追求し切れないのだ。

 それでも、まもりはこちらの弱みを悟られない様に強気な態度を誇示した。半眼になり、足下の女生徒達をなるべく見下げるように、顔の角度をツンと上向けた。

 確かに、一人が言う様に、この三人とはクラスも違うし、直接会話を交わした事も無い。それでも女子特有のグループ内に存在する情報伝達で、三人の人となりはそれとなく知っていた。ちょっとハデ目で、自分の容姿にそれぞれが自信を持っている。特に、真っ先にまもりに問いかけて来た女生徒は、そのグループの中でも中心的な存在で、性格もはっきりしている。後の二人は、割と流されタイプで、実質、このグループの意思は、その女生徒が握っていると言って良いだろう。こう言う自尊心が高い相手は、自分が見下されるような態度を取られると、それを無視し切れない。相手の癪に触るよう、なるだけ高慢な態度に見せなければならない。

 実生活ではそんな態度、あまり得意ではないが、それでも頭の回転の速いまもりには、今自分に必要な態度を使い分けるくらい、容易い事だった。

「…こんな所で話していても、しょうがないでしょ。姉崎さん、私達の後に付いて来る?」

 食いついた。まもりは心の中でしめた、と思った。相手は人数がいる事を強みに思ったらしい。『達』を随分強調しているが、まもりはそんな事では怯まない。

「ええ。私は良いわよ。何処で話しても。あなたたちの都合の良い場所に、案内して頂けるかしら?」

 自分が随分と攻撃的な気分になっているのを、まもりはとっくに自覚していた。そして、奥底の冷静な部分を乱す訳ではないのなら、それを相手に打つけてもいいと思っている事も。

 周りに温厚と思われているまもりが、実は自分の大切なものを守る為なら、幾らでも攻撃的になれる事を知っている人物は少ない。その数少ない相手である、泥門の悪魔と呼ばれる人物を心の中で思い浮かべ、普段は決して思わない事を考えた。

(こんな時ばかりは、感謝するわ。ヒル魔くんとやり合うようになってから、私は戦う事を覚えたもの。これでも、私、貴方の事は認めているのよ…)

 牽制した筈が、それに全く堪える様子を見せないまもりに、それでもリーダー格の女生徒は、強気な態度を変える事無く、付いて来いと言わんばかりに身を翻し、階段を颯爽と降りて行く。長く、手入れの行き届いた艶のある髪が、遅れてたなびき、まもりを誘い込んでいるかのようだった。まもりはその後にさっと続き、残された女生徒二人は、そのまもりの後に続いて慌てて階段を駆け下りる。

 パタパタと忙しない足音が、放課後の校舎に響いた。

 

 遠くに部活動に勤しむ、運動部の生徒達の威勢の良い掛け声が聞こえる。

 まもりを伴い、女生徒が選んだ場所は、壁面にツタが絡む、泥門高校の校舎の特徴を一端に担うかのようなテニスコート脇の校舎裏のスペースだった。ここはどの昇降口からも遠く、近くにあるテニスコートからも視界が塞がっていて、絶好の死角になっていた。

 相手も愚かではない。まもりはそう思った。

「あの子…やっぱり貴女に泣きついたのね」

 ボソリと低く呟かれたその台詞に、まもりは一気に頭に血が上るのを感じた。

 いけない。ここで冷静さを失ってはいけない。相手の様子をつぶさに観察して、完膚なきまでに叩き潰さなければ、また、まもりの大切なものに傷が出来てしまう。

「…意外だわ。随分あっさりと認めるのね、セナの頬を叩いた事。それと、言っておきますけど、セナは、けしてあなたたちのした事を、告げ口するような真似はしなかったわ」

 そう。それどころか、自分の不注意で付けた傷なのだと偽った。自分を傷付けた者まで、庇ってみせたのだ。

 まもりは、そのセナの言い訳には納得しなかった。その場に居合わせたと言う雷門を、まもりはセナに気付かれない様に問いつめてみた。

 雷門は、最初、男の約束だから…と、まもりにはその原因を話そうとはしなかったが、どうあってもまもりが引かず、ヒル魔の事も持ち出して『私が納得しないのなら、ヒル魔くんはもっと納得しないわよ』の一言で、漸く聞き出したのだ。

 それでも、雷門が打ち明けたのは、セナは上級生らしき女生徒三人に呼び出され、アメフト部を辞めろと言われたらしい事。それだけだった。その相手がどうしてそんな事を言い出したのか、理由はどんなに宥め梳かしても、雷門は頑なに話さなかった。

 それでも、まもりにはピンと来るものがあった。多分こうなる事が判っていた雷門が、セナに根掘り葉掘り聞いたと言う相手の特徴に心当たりがあったのだ。そしてその相手が思い当たった瞬間、まもりはセナが叩かれた理由もおおよそ検討が付いてしまった。

 その相手が、今まもりが対峙している三人だった。

「残念ね。あなたたち…いいえ、恐らくあなたは、それを望んでいたはずよね」

 まもりが追求しだすと、急にそわそわと態度に落ち着きが無くなった後ろの二人とは違い、まもりと真正面に対峙した長い髪の女生徒は、平然と受け流した。

「どうして?私はただ、努力している人の邪魔になっているものを排除してあげようと思っただけで、その為にした行動を相手が誰に言おうと、告げ口だなんて思わないし、別に望んでもいないわ。まあ、吹聴されたくらいで、善意でした行動なんだし、別に構わないけれど?」

「違う。望んでいた筈よ。ヒル魔くんに、セナが告げ口するのを、あなたは望んでいた」

 それまで、なんとか取り澄ました様子を保っていた女生徒は、そう言い切ったまもりを、ギラリと言った擬音がぴったり来るような焼き付くような眼光で睨みつけた。こう言うタイプは、己の心の内に仕舞い込んだ本音を暴かれる事に、耐えられない屈辱を感じるだろう。まもりのその台詞に驚いた様子を見せたのは、その女生徒の後ろに控えた二人だった。それでも、まもりは暴く手を緩めなかった。

「あなた、可哀想ね。その半端なプライドが、セナを許せなかった。ヒル魔くんの特別であるセナが。あんなことをして、もしセナが部活を辞めたとしても、あなたがヒル魔くんの特別にはなれない事を、判ってしまった。

 だから余計に許せなかったの?

 だから、セナを叩く事で、少しでもヒル魔くんの心に残りたかったんでしょう?それが憎しみでも良いから。

 自分が想っている相手に、全く歯牙にも掛けて貰えない事が、あなたの半端な自尊心は許せなかった」

「どうして!」

 強気な姿勢を崩さなかった女生徒が、悲鳴のような声を上げた。その自分の声を聞いて狼狽えたらしい少女は、慌てて乾いた唇を舐め、気を落ち着けようと一呼吸吐いた。その女生徒の仕草に、決して心の底から愚かでは無いらしいその長い髪の女生徒に、まもりは更なる哀れみを感じた。

 いっそのこと、愚かであれば、半端な自尊心など、無視してしまえただろうに。

 だからと言って、女生徒のした行動は、許せるものではなかった。

「どうして、半端だなんて、貴女に言い切れる?!貴女だって、あの子を他の誰かに奪われたくはないでしょ?違うだなんて言わせないわよ!貴女のあの子を見る目は、私と一緒だわ!!ヒル魔くんを見る…見つめるしか無い私と!!!」

「一緒になんか、させないわよ!だったら、どうして直接ヒル魔くんに告白しなかったの?どうして、セナを傷付けることを選んだの?告白して、断られて、あっさり忘れ去られるのは、貴女のプライドが許さなかった。そうでしょう?それが半端だって言うのよ。本気なら、ヒル魔くんの事を本気で想っているなら、そんな回りくどい事をせずに、見込みがないと判っていても、真摯にぶつかっている筈だわ。

 ………………。

 あなたのその半端な自尊心は、ヒル魔くん自身も馬鹿にしているわ。

 …どうして、ヒル魔くんを信じてあげなかったの?真剣に告白されて、その相手の事を一瞬も考えず、自分の人生から弾き出すような人だと、あなたはそう判断したのよ、ヒル魔くんを!

 あなたのその半端な自尊心を守る為に、セナを傷付けたっていいなんて、そんな事、ある訳が無い!!」

 まもりは、心の内に渦巻いた憤りを一気に爆発させた。それを打つけられた少女は、ぶるぶると身体を震わせながら、それでも顔を俯けること無く、まもりを睨みつけていた。

「…それでも、いいのよ。思いが通じ合えないのなら。ヒル魔くんに忘れられる事が無いのなら、そんな風に蔑まれたって、それでもいいのよ」

 しかしそう言った少女の声には、力がなかった。まもりの指摘した事は正しいと、愚かでは無い女生徒は認めない訳にはいかなかった。それでも、ここで折れてしまえば、再起不能になってしまう事を、少女は恐れていた。

 この思いを、殺してしまう事が、何よりも痛かった。

 しかし、そんな悪足掻きにも、まもりは、はっきりと切って捨てた。

「駄目よ。そんなことをしても、もう、あなたの思いはヒル魔くんに届かない。唯一、あなたがヒル魔くんに残るのは、あの、黒手帳の中だけ。他の人よりは、念入りに書き込んでもらえるかもしれないけれど、心に残る事は出来ないわよ。だって、そのチャンスを、あなた自身が、その手で、叩き潰してしまったもの。

 本当に、どうして告白しなかったのかしら?」

 まもりは、哀れみを込めた視線で女生徒を見つめた。

 その視線に、数分前の女生徒なら、烈火の如く激しい眼差しを返して来ただろうが、その瞳は今や力なく、濁っていた。

「…………。私自身が、私の思いを、折っちゃったって訳ね………あはは………。笑えるわ」

 それでも涙を見せない長い髪の少女に、まもりは心の中で溜息を吐いた。

 本当に、下手な自尊心なんて、捨ててしまえれば、楽なんでしょうけどね。

 けれども、それは出来ないだろう。それをしてしまえば、自分は自分で無くなってしまう。

 まもりは、この女生徒がもう、セナに関わらないだろう事を悟った。

 後は、最後にもう一仕事残っている。

「あなたたち。そう、後ろの二人。どうせ、この子に便乗して、あわよくば…なんて考えたんでしょうけれど、やめた方がいいわよ。そんな流された態度じゃ、ヒル魔くんは手に負えない。自滅するだけよ。勿論、セナに手を出しても、同じ事だとは、もう判っているわよね?それじゃあ、ごきげんよう」

 唖然と、まもりを見つめるその二人を残し、まもりはその場から優雅に颯爽と姿を消した。

 

 アメフト部の部室に戻りながら、まもりは心の中で溜息を吐いた。校舎の影に入ると、颯爽とした足取りは、とたんに重たいものに変わった。

 セナを守るためとは言え、人の思いを、根元からばっさりと切り取ってしまうのは、やはり罪悪感を感じる。

 それでも、あかの他人を傷付けてでも、己の大切なものを守りたいと思ってしまうのだ。

 そんな自分は、今、切って捨てた女生徒と、そんなに変わりがないのかもしれない。

 追求する最中は、きっぱりと否定したが、『同じ』と言った女生徒の言葉に全く動揺しない訳にはいかなかった。

 それでもまもりが冷静でいられたのは、話題に上ったもう一人の主役、ヒル魔の存在が大きかった。

 ヒル魔は、自分の信じるものを守る為なら、どんな事をしても、たとえ、誰かの心を傷付ける事になったとしても、己の信念を折る事は無い。自身がその罪悪感に苛まれ、傷ついていたとしても、けしてそれを表には表さない。

 その強さを、まもりは心の中に画いていた。

(だから、言ったでしょう?私は一応、貴方の事を認めているのよ、ヒル魔くん)

 セナを想う同士として。

 まもりは、重たくなった足取りをきっぱりと変え、胸を張り、顔を真正面に据えて、闊歩した。

 アメフト部の扉は、すぐ其処にあった。

 

 

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